ロンドンパラリンピックフルマラソン競技の様子

マラソン大会参加参加記録

平成14年(2002年) 大会参加記録

第13回東日本国際駅伝 in相模原
開催 10月06日(日曜日)
場所 相模原市、相模原米軍基地
主催 主催:神奈川県走友連盟
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝(4区間) 第3区 中澤修平 17:20(手元) 壮年男子 4位
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壮年男子の部 1区(Hさん)・2区(Sさん)・3区(中澤)・4区(Nさん)

壮年の部トップチームでの第3走なのでプレッシャーもかなりあった。チームは6位内の入賞を狙うと宣言している。チームメンバーの他の3人は素晴らしいランナーだ、最も足を引っ張ると思われるのが私だった。

当日の朝もジョグをしていて、どうも足が重い。相変わらずスランプを引きずっている、でもここまで来て不調を嘆いていても始まらない。スタート前は集中力を高める事のみに専念した。何度も手のひらで頬を叩いて緊張感を高めた、給水所の水を何度も顔にかけてモヤモヤを吹き飛ばした。

走り出す10分ほど前に、恒例の50mダッシュを3本入れた。
これで準備完了だ!
あとは、どのような結果が出ようとも全力を出し切るだけだ。結果はともかく、自分の心の中で走る戦いがイメージ展開出来たかどうかが重要だ。そう、戦いの中で全エネルギーを吐き出せたかどうかが駅伝は最も大切な事だ!。

第3走のトップは既に通過して、我がチームナンバーの呼び出しが入った!
SSさんが苦痛に顔をゆがめ接近してきた。

たすきを受け取り直ちにエンジン全開で走り出しました。
幸い50m先に二人の選手が走っている。走り始めてからしばらくは、その選手達との距離を見ながら走りを進めた。オーバーペースにならないようにだけ注意した。

幸い前の二人に少しずつ接近している(^o^)、ヤッター。
まだ序盤であり、早い段階での追い越しは避けようと思った、オーバーペースにはまる恐れがあったからだ。
着実に捉えて後半で抜いていく方針を立てた。

2kmを過ぎたところで、神宮ACの選手に抜かれてしまった。(^o^)
走力のある人なのでやむを得ないと思った。
しかし一つ順位を落とした事により絶対に前の二人を抜かない事には大変な事態になると思った。

前の二人をしっかり捉えながら少しずつ接近し、あと5mほどに迫ったところで抜ける事を確信した。駅伝で注意しなければならない事は、抜くときに一気に抜かないと後を追尾されてしまう事がある。そうなるとこっちも苦しくなるので、先行する選手を一気に抜き去って、後を追尾する気持ちにさせない事がポイントだ。

エネルギーを温存する為100mほど二人の後を追尾した。少し走りに余裕が出来たので、前に出る事を決意して一気に前に出た。

やはり一人が直ぐに追尾してきた。
ここで付かれたら二人を抜き去る事も危なくなってくるので、更に走りを加速した。
相手は200mほど追尾していたが諦めたようだ。足音が聞こえなくなった。(^o^)

後は前を走る神宮AC選手との距離を少しでも縮めてタスキを渡さなければならない。
気を抜かずにラスト1kmも死にものぐるいで走った。

ゴールが近づくにつれて私の名前を呼びながら応援してくれる人が増えてきた。
その人達に背中を押して貰った。
そしてスピードアップしながらゴール!。

タイムは手元の計時で17分20秒だった。
区間は5kmよりも長いので、満足すべきタイムだった。
全盛期とあまり変わらないタイムだし順位もひとつ上げた。
そして我がチームは見事4位に入賞した。

1区のH選手による素晴らしい力走から始まり4人共すごい走りをしていた。その全体の結果がこのような素晴らしい4位入賞を果たしたものと思う。
私は酒は飲めないが、飲めたとしたなら素晴らしい美酒になる事だろう。

写真
東日本国際駅伝の写真

私からラスト走者Nさんにタスキを渡す瞬間です。
4kmポイントあたりで二人を抜き去り、その時点で順位を一つあげました。
そのままラスト1kmは必死に走りました。そしてペースを上げてゴールイン。無事にタスキをつなぐことが出来ました。(^o^)
(写真提供:Sさん)

第27回高島平・日刊スポーツロードレース大会
開催 10月20日(日曜日)
場所 東京都板橋区
主催 主催:(財)板橋区体育協会、日刊スポーツ新聞社、(社)東京陸上競技協会
主管:板橋区陸上競技協会
天候 曇り/微風
結果 20km Y選手 1:21:51(公認)
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Y選手の伴走で参加しました。

天候も曇り空、風も弱風と絶好の気象条件です。Y選手は昨年この大会で1時間20分を切っていますので、今回はその記録を更新するのを目標としてスタートしました。

最初の周回からペースに乗った走りが出来ず、一周目は20分を切ることが出来ませんでした。結果として全ての周回で20分を切れず、結局昨年の記録を更新する事は出来ませんでした。ただ4周をほぼイーブンで走っていますので、走力の維持を計り次のレースに再起をかけて頑張って下さい。(^o^)

第8回手賀沼エコマラソン
開催 10月27日(日曜日)
場所 千葉県柏市
主催 主催:我孫子市、沼南町、柏市、各市教育委員会、手賀沼エコマラソン実行委員会
主管:手賀沼エコマラソン実行委員会
天候 晴れ/微風
結果 ハーフマラソン 高橋勇市選手 1:22:43(公認) 35-39才 30位
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高橋選手の伴走で参加しました。

高橋選手、自己新記録おめでとうございます。
私の伴走でスタートしましたが、なんと途中で私がつぶれてしまい、大変にご迷惑をお掛けしました。万全の体調であると信じてスタートしましたが、14km付近で私の方が先に失速してしまいまいました。
幸い一緒に走っていたSさんが、快く伴走を引き受けて下さって、無事に走りを続けることが出来ました。Sさん本当に有り難うございました~。(^o^)

第144回日本体育大学長距離競技会
開催 11月17日(日曜日)
場所 横浜市健志台、陸上競技場
主催 主催:日本体育大学陸上競技部
備考:横浜市青葉区鴨志田町、第3種公認陸上競技場/全天候400mトラック
天候 曇り/寒かった
結果 5000m 安部直美選手 19:47.06(公認)
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安部選手の伴走で参加しました。

1km 3:49
2km 3:59
3km 3:59
4km 4:01
5km 3:57 (自己新記録)

安部選手、自己新記録おめでとうございます。
彼女は今年に入ってから、大会に出場する毎に自己記録更新をするほどに走力を上げてきています。凄いです。日頃の練習も一生懸命頑張っていますので、まだまだ伸びる事が予想されます。彼女の一番の目標であるアテネパラリンピック出場に向けて頑張って欲しいですね。本日は本当におめでとうございます。(^o^)

写真
日本体育大学長距離競技会の写真

力走する安部選手です。
レース中盤の写真と思われますが、参加選手の数が26名と少ない事もありまして、すでに単独走のようになっていますが、他の選手が追い越す際には、外側に避けるという条件で走りを許可してもらった関係で、結構1コース~3コースの間を右往左往していました。
安部選手は1kmを通過する前から呼吸は荒くなり、苦しいレースだったと思いますが、一緒に走っていて、どんなことがあっても最後まで走りきるという強い決意のようなものを感じました。その強い思いが自己新記録となって表れたのだと思います。本日は本当におめでとうございます。(^o^)
(写真提供:Hさん)

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(※この参加記は伴走MLへの投稿文です。)

視覚障害者ランナーの安部選手(B2クラス)が、第144回日本体育大学長距離競技会に参加するとの事で、私も伴走者として共に走ってまいりましたので報告させて頂きます。

私もこの競技会には初参加でしたが、概要としては参加者は参加人数の多い順に書きますと高校生・大学生・実業団・一般ランナーの順になります。圧倒的に高校生が多かったですね。陸上競技を目指す若者を鍛え、刺激を与え、競争する場を提供するとの主旨と思われますが、その目的にあたわず素晴らしい緊張感と真剣さと激走に私も感激してきました。

この競技会は基本的には、陸連登録さえしていれば学生でなくても参加資格はありますので、皆さんも良かったら参加してみる事をお勧めいた します。
但し若い人ばかりで私と同じような40歳代のランナーは皆無でした。
競技種目は、800mから始まって1500m、5000m、そして最長の10000mです。
朝9時から一組目のスタートが始まり、最終スタートは5時20分でした。その間に32組の編成でスタートを繰り返します。

安部選手が競技会に参加するに際しては、視覚障害者ランナーの参加は過去に例がなく主催者側は当初難色を示したようですが、関わる関係者のねばり強い交渉の結果、ようやく参加が認められたとの話を聞きました。このような素晴らしい競技の場に、これからも多くの視覚障害者ランナーの参加の道筋をつける為にも、伴走者として転倒事故などを起こさないように細心の注意をもって臨みました。

今年から、視覚障害者ランナーも陸連公認記録を取得出来るようになり、昨日の記録も当然の事ながら陸連公認記録となりますので安部選手も頑張って走りました。

安部選手が走る女子5000mのスタートは午後2時15分、選手は26名、大学生半分実業団半分といった構成です。皆さん見るからに速そうな、足の長いスマートな体型をしています。結果は最初に掲載したとおりです!!。

想像を超えるプレッシャーの中でも安部選手は本当に頑張りました。
耳から聞こえる競技場の雰囲気で、レベルの高さを察知していたのでしょう、彼女は今年9月におこなわれた仙台でのジャパンパラリンピックよりも緊張したと述べています。

彼女はスタート前に、潰れるのを覚悟で最初から飛ばしたいと語りました。そして実際に飛ばして入りました。スタートからの最初の200mで42秒のタイム!。(1km3分30秒/5km17分30秒のペース、このペースでもすでに最後尾)

あまりの速さに減速を進言しようとしましたが、記録への挑戦心を削ぐ恐れがありましたので語ることなく、その後も全て通過タイムを伝えるのみに留めました。1km地点に達する前から呼吸は荒くなり、辛くて苦しい道のりだったと思いますが、タイム的には潰れることなく、逆に最後は上げてゴール する事が出来ました。

コース脇で応援してくれていたHさんの話では、それはすごい形相で終始走っていたとの話でした。残念ながら、伴走者である私はその顔を見る事は出来ませんでしたが、いかに走りに集中していたかという点は併走していて感じました。

結果は彼女もついに5km19分台に入ってきました、初めての19分台達成です。
9月のジャパンパラリンピックでの記録が20分15秒で、その時も見事な自己記録更新でのタイムでしたが、2ヶ月間でさらに28秒短縮して、ついに19分台に入ったという訳です。本当に次から次に自己記録を更新し続けています事に驚くばかりです。

彼女は確かに恵まれた環境にあります。練習メニューの組み立ては、女性で元実業団選手のTさんという方が担っています。安部選手は故障に注意しながらそのメニューを着実に消化していく事のみに専念出来ます。又、首都圏在住という事で声を掛ければ多くの伴走者が手を挙げてくれます、決して練習に不自由するような事はありません。

地方にお住まいの視覚障害者ランナーで、「伴走者さえ見つかればもっともっと練習出来るのに」と歯がゆい思いをされている方々が多いと聞 きます。その事を思えば余るほどの伴走者が周りに控えている環境は、本当に恵まれているの一言ですね。
これらの好環境を踏まえても尚、なぜ安部選手は19分台まで記録を伸ばす事が可能だったのか…。少しだけ考察してみたいと思います。

速く走れるようになるためのノウハウは、例えば月刊『ランナーズ』誌などにも毎号のように掲載されていますので、ここで改めて取り上げてみようと 言う気はありませんが、速く走れるようになる為には、難しい理論に従ったトレーニングや特殊なトレーニングを実践する必要があるのではなく、ごくごく平凡な習慣の繰り返しが大切ですという意味を込めまして、安部選手が取り組んでいます日常の練習から、際だった特徴を二点ほど紹 介してみたいと思います。

1,練習のメインメニューはゆっくりとした走り込みです。
2,レース後や強い練習の後は、必ずクーリングダウンを行います。

 

1,練習のメインメニューはゆっくりとした走り込みです。

安部選手は、5000mに絞ってアテネを目指している選手です。ですからいつもインターバル走などでガンガン走っているのかなと思いきや全く逆で、いつも比較的ゆっくり走っています。60分走、90分走などをキロ5分から5分30秒程度の間で、来る日も来る日も走っています。それはもう伴走者でも飽きてしまうほどの繰り返しです。(笑)

伴走MLの皆様の中にも、飽きるほどのその繰り返しに付き合っている方が何人かいらっしゃいますね、本当にお疲れ様です。(笑)

彼女のメニューはポイント練習がメインで、弱い練習はその疲労を抜くためという位置づけではなく、あくまで基本ベースはゆっくりとした走り込みにあります。その中にポイント練習として強い練習が入ってくるという順番です。

どちらが主でもやっている事に変わりはないのではないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらが主な練習だととらえる考え方の差は大きいと思いますね。何故なら、ランナーとしての体をしっかり作った上で、強い練習をしますので、まず故障する確率が大幅に減るでしょうね。基本的な走力が出来ていますので、強い練習にも十分耐えられるという訳です。皆様の練習メニューでメインであると捉えているメニューは何でしょうか?

 

2,レース後や強い練習の後は、必ずクーリングダウンを行います。

皆さんはレース後などにクーリングダウンやストレッチを行う習慣があるでしょうか?。それとも、ゴールしたならチップをはずして荷物を置いてある場所に直行でしょうか?

先日行われましたJBMAマラソン小田原大会に私も伴走で参加してきましたが、あのアップダウンの激しいコースを走った後は、相当に筋肉がダメージを受けていますので、少しでも筋肉痛を軽減すべく、そして故障を避けるために、クーリングダウンを誰がするかなと、私はグランドをずっと見続けていました。

見落としがあったなら大変に失礼いたしますが、ゴール後クーリングダウンをしていたのは、一般ランナーで数人、視覚障害者ランナーでは安部選手ただ一人であったと思います。
安部選手は、戦い終えた体をいたわるかのように、芝の上をゆっくりと伴走者と共に20分ぐらい黙々と走っていました。そして、彼女はクーリングダウンを終えてから会場の隅で必ずストレッチもしたはずです。

 

クーリングダウンを習慣としてやられている方は少ないかもしれませんが、走力向上を目指すランナーとしてはぜひ習慣として練習の中に組み込む事をお勧めいたします。

そのメリットは!、
A,当然の事ながら、レースでの筋肉疲労を癒す、軽減する。
B,レースの記録が、良くも悪くも気持ちを切り替える事が出来る。
C,レース中故障したなら、故障箇所の発見が容易。
D,すでに翌日の練習の準備に入る。

 

A,当然の事ながら、レースでの筋肉疲労を癒す、軽減する。

小田原大会のコースのように際だってアップダウンの激しいコースなどを走った後は、普段使わないような筋肉も走りに動員されています。戦い抜いた体を労ってやるために、そして疲労を軽減するためにもクーリングダウンは必須の要件です。

 

B,レースの記録が、良くも悪くも気持ちを切り替える事が出来る。

予想以上の良いタイムが出せたとしても、いつまでも喜びに浸るのではなく、一つの通過点として捉えるために。そして、潰れるなどの最悪の結果に終わったとしても、何日もそれを引きずらないためにもクーリングダウン中に反省し、直すべき点は直すとして帰路につく頃には、きれいサッパリとした気持ちになるために。

 

C,レース中故障したなら、故障箇所の発見が容易。

レース中に膝や筋肉などに違和感が発生したなら、体が冷えて筋肉が固まる前に、痛みを観察して故障箇所を突き止めるようにすると、手当の方法も見つけやすい。

 

D.すでに翌日の練習の準備に入る。

クーリングダウンは、明日の練習の準備開始という意義も含まれています。
気持ちとしては、クーリングダウンは今日のレースの反省をしつつ、それらにけじめをつける事が出来たなら、気持ちはすでに明日の練習に向けて体調を整える事が出来たという気分でクーリングダウンを終えるようにします。
「よし、これで明日はいつでも練習に入れる!」と、自分に言い聞かせてクーリングダウンを終えます。

 

いかがでしたでしょうか?
安部選手の、練習における特徴を二点ほど紹介しながら、長々と書き込ませて頂きました。
ひとつの参考として下さいますようお願いいたします。

安部選手は、本気でアテネを目指しています。何処かの大会で見かけましたら、「頑張ってネ 」とお声を掛けて下さいますようお願いいたします。彼女にとりまして、その暖かい声援の一声一声が走るエネルギーに転化され、彼女の背中を押してくれる事でしょう。有り難うございました。(^o^)

第12回福知山マラソン兼第3回全日本盲人マラソン選手権大会
開催 11月23日(日曜日)
場所 京都府福知山市
主催 主催:福知山市、福知山市教育委員会、京都陸上競技協会、福知山市陸上競技協会、(財)福知山市体育協会
共催:大江町、大江町教育委員会、大江町体育協会 主管:福知山マラソン実行委員会
天候 快晴
結果 フルマラソン Y選手 3:20:03(※未公認) 総合789位
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自走   伴走   応援

Y選手の伴走で参加しました。

天候は快晴、スタート時はピリッとした冷気が漂い絶好のコンデションでした。
Y選手は前半は予定通りの走りでしたが、後半少しペースダウンしてしまい、目標タイムを達成する事はなりませんでしたが、全体としてみると他の選手から抜かれるよりも、抜く選手が圧倒的に多かったことから、実力はしっかり出せたのではないかと思えます。参加メンバーの皆様、お疲れ様でした。(^o^)

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第12回福知山マラソンの、前半ハーフの伴走者として参加してきました。

Y選手は、1km 4分12秒/5km 21分00秒のペース設定で走りを進めました。
毎年の事ながらスタート前の会場付近は、震え上がるほどの寒気が漂い、ブルブル震えてスタートを待つ事になりますが、走り出して後の気象条件は風もなく太陽も雲に隠れたりで天候は抜群の好条件でした。この素晴らしい気象条件では、ゴールタイムが悪くても気候のせいには出来ませんよ。(笑)

主要な選手の結果は次の通りです!。

F選手(B3) 2:39:06(公式)
F選手(B1) 2:48:33(公式)
T選手(B2) 2:48:58(公式)
Y選手(B1) 3:20:03(公式)

 

F選手(B3) ******************************

偶然にも大会前日の宿で一緒になりましたので、情報収集も兼ねて貴重なお話を伺う事が出来ました。彼は現在故障はなく、この福知山マラソンに向けて順調に仕上げてきたようです。そして正直に予定タイムを話してくれましたが、結果はその通りのタイムでゴールしました。

「どの様な練習をしていますか」との質問に対し、次のように答えてくれました。
1,月間走行距離は、概ね700kmぐらいで推移。

2,フルを20分台で走るパートナーと一緒に練習をしている。

3,2kmほどのアップダウンのある周回コースが練習のメインな場所。

4,メインな練習はビルドアップ走。

5,30kmビルドアップ走などで、ラスト5kmは16分台で走る。

6,練習メニューは実業団選手のメニューを参考にしている。

7,バーベルを使用した筋力トレーニングは毎日欠かさず行っている。

8,その筋力トレーニングは、有名な実業団選手の指導もしているというKさんが組み立て、ランナー向けに仕上がっている。

9,弱い練習の時は、土の上などを選んでゆっくり走り故障を防いでいる。

F選手も年齢を考えると、アテネを最大の目標と考えている可能性が高い。
そして、ここ二年ほどでずいぶんとタイムを上げてきた。
故障さえしなければ当確である事は間違いのないところなので、見事アテネで花開く事を祈らずにはいられない。

 

F選手(B1) ******************************

福知山マラソンに向かう新幹線で近くの席にいらっしゃったので、色々と話をしたが、話をつなげてみると目標タイムは45分台だと思われる。 練習もしっかりと積み上げてきた、無謀なペース設定ではない。それにしても見事に安定したスピードを身につけてきた、話しぶりにも走りに対する自信が溢れている。

どのような展開になろうとも、そして潰れるのを覚悟の上で予定ペースで入った可能性が高い。そして結果は、45分台はならなかったが48分台ということでまずまずのタイムをキープした。最もマークしていたであろうT選手との距離も、私が29km地点でのタイム差を計測したら24秒だった。そしてゴールタイムでも追い上げをかわして25秒の差を維持した。

最近は安定して走力を維持しているようだ。これからも少しずつアテネに向けて気合いを入れてくるだろうから、さらにタイムアップする可能性が高い。強いて問題点を拾い出そうとすれば、ゴールしてからのぐったりとバテた姿が少し気になった。

彼は練習環境には、比較的恵まれている。そして走るノウハウもかなりのものを持っている、一年後の福知山マラソンでは再び巨大なライバルとして、立ちはだかる事になるでしょう。

 

T選手(B1) ******************************

無事に生還はしたようです。(^^;)

昨年よりも1分54秒あまりタイムを短縮して見事自己記録更新でゴールしました。練習不足の中で、そしてお世辞にもしっかりと仕上がっているとは言い難い体調でよくあそこまで追い上げたものだと感心する、抱きしめてやりたいぐらいだ。(笑)

潰れてもおかしくない体調でのあの結果を出した事に、T選手の並々ならぬ精神力の強靱さを感ずる。
彼はとにかく長い距離は強い!。
ゴールしてからも、とてもフルを走ってきた後とは思えない程の元気な顔の表情をしているし、移動などの動きも素早く軽快だ。ゴール後の顔の表情や動きだけを見たなら、F選手とT選手の順位は逆に感ずるほどだ。

「早く帰らないといけない」と言い残して表彰も受けることなく、さっそうと伴走したNさんと会場を後にした。伴走のNさん、伴走者としてのプレッシャーも大きかったと思いますがお疲れ様でした。

彼は故障することなく適正な練習さえ積み重ねれば、夢の30分台も現実のものになるのではないかと思えてくる。これから残された365日の一日一日をどのような練習を積み重ねるか!。仕事や自由時間、食事のメニューや睡眠時間も含めて、どれくらいアテネに向けて注意を払いながらの自己管理を行い、エネルギーを集中出来るか?。

全てはそこにかかっている。
繰り返すが、アテネ選考会まで残された時間は365日!!。
頭の中での目標を365日後の福知山マラソンとして、しっかり見据えて日々の練習やレース、そして日常生活に取り組んで頂きたいと願わずにはいられない。

 

Y選手(B1) ******************************

目標はサブスリー達成にありますので、1km4分12秒の設定で走りを進めました。少し早めのペース設定ですが、後半落ち込みがある事を見込んでの設定です。

私の担当した前半ハーフまでは、ほぼ予定通りで走りを進める事が出来ましたが、残念ながら後半の落ち込みが激しく、またしてもサブスリー達成はお預けとなってしまいました。

Y選手の課題は、“30kmからの落ち込みをいかに最小限にするか”である事がはっきりしました。ここで大きく練習方法を変えてみる必要があると感じます。
何度か30kmペース走はやってきましたが、それに替えて今後は40kmペース走を年間を通して実施する事を勧めようと考えています。この40km走を月に2回、来年の福知山マラソンまでに24回実施して、尚日頃の通常のトレーニングが消化出来る体調に持って行ければ、 相当に走力がアップしたとみる事が出来るでしょう。

それには、まずベースとして月間走行距離が必ず300km以上をキープ出来ていないと、相乗的な効果は期待出来ないと考えられますので、 時間のやりくりが大変だとは思いますが、何とか時間をひねり出して頑張ってもらいたいと思います。そして、それらの練習の伴走者捜しも同時に進めてもらいたいと思います。

年齢的には、まだまだサブスリー達成のチャンスはありますが、アテネへの切符もサブスリー達成が条件ですので、他の選手と同じように迫る一年後の福知山マラソンでピークに持っていき挑戦して頂きたいと思います。

後半伴走されたSさん、伴走お疲れ様でした。移動に際して、友人の車両を利用しさせて頂きまして本当に助かりました。運転して頂いた方にもよろしくお伝え下さいますようお願いいたします。Sさんとは、帰りが別行動だったのでレースについての話が出来ませんでしたが、何れ機会がありましたら三人で反省会でも開きたいですね。

 

掲載させて頂きました各選手にとりまして、唯一の共通点がありますね。
それは、それぞれに持ち時間は後365日であるという事です!。それをどのように使い、或いは積み重ねて自己の限界を突破していくか。意志と時間とを上手く配分して目標とする「 ? 」を手中に納める事が出来るか。走力は伯仲しています、誰でも手にするチャンスに恵まれています。

残された365日、そして福知山マラソンでのラストレースの更にゴールラインを走り抜けるまで、気を抜くことなく戦い続ける事をお祈りいたします。

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