ロンドンパラリンピックフルマラソン競技の様子

マラソン大会参加記録

平成18年(2006年) 大会参加記録

第4回奥むさし駅伝競走大会
開催 1月29日(日曜日)
場所 埼玉県飯能市他
主催 主催:飯能市
共催:飯能市教育委員会、飯能市体育協会 主管:奥むさし駅伝競走大会実行委員会、飯能陸上競技教会
天候 曇り時々晴れ
結果 駅伝(6区間) 第1区 中澤修平 38:34(公式)75位/149チーム
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1区を任され区間タイムは38分34秒でした。有志チームのなかで、最下位という事で…。(^^;)

やむを得ません。冬季はどうしても故障がちで、満足な走り込みが出来ないのが通例ですから、当日故障なしで全力で走れた 事を喜びたいと思います。

アトミクラブは、昨年よりも順位を上げ10位に食い込みました。上位にはそうそうたるチームが名を連ねますので、10位入賞は素晴らしいの一言ですよね。参加したアトミメンバーの皆さん、本当におめでとうございました。(^o^)

'06タートル森林健康マラソン
開催 4月09日(日曜日)
場所 千葉県長柄町、日本エアロビクスセンター
主催 主催:タートル森林健康マラソン実行委員会
天候 晴れ時々曇り
結果 10km招待選手 高橋勇市選手 55:53(公式)
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高橋選手の伴走で走りました。

高橋選手は招待選手ですし、初めて走るコースですし、難コースであるという事前情報もありましたから、事前にペース設定はせず、流れに任せて走りましょうという事でスタートしました。実際に走ってみて視覚障害者ランナーにとっては、かなりの難コースである事が判りました。

私は捻挫などのアクシデントが発生しないように慎重に走りを勧めました。すごい難所はペースを落とし、直線や坂道ではインターバル的にスピードを一気に上げるという走り方でしたから、ペースは遅いものの、一定のトレーニングに なったと思います。

この大会は、アトミクラブ監督が主導した大会で、アトミクラブ会員も大勢サポートメンバーとして協力しました。初めての主導大会ということで、アクシデントも少しありましたが、皆で大会を作り上げた意義は大きく、第二回大会へと続く流れ を作ったと思われます。

日本エアロビクスセンターは、東京からはかなり遠いことは間違いありませんが、文字通り森林の中を楽しく走ることが 出来ました。ありがとうございました。(^o^)

第7回前橋シティマラソン
開催 4月23日(日曜日)
場所 群馬県前橋市
主催 主催:前橋シティマラソン実行委員会
共催:前橋市、前橋教育委員会、前橋市体育協会、前橋市陸上競技協会、前橋ランナーズ、上毛新聞社、群馬テレビ
天候 晴れ
結果 ハーフマラソン 高橋勇市選手 1:24:30 (公認) 一般男子(36-55歳) 16位/総合51位
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高橋選手の伴走で参加しました。

前半を私が伴走して、後半はNさんが伴走しました。暑くなるという予報でしたが、気温もさほどあがらず、素晴らしいコンデションの中を走ることが出来ました。コース序盤に上毛大橋という利根川をまたぐ橋の上り勾配の距離が400mと長いのは閉口しましたが、それ以外は平坦で走りやすく、快適に伴走することが出来ました。後半はNさんが伴走し全体としては予定通りキロ4分レベルで走りきりました。(^o^)

第35回皇居周回全国OB・OG同好者駅伝大会
開催 5月28日(日曜日)
場所 東京都・皇居周回コース
主催 主催:東京OB同好会、墨東走友会
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝(5区間) 第4区 中澤修平 18:24 (公式) 12位
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4区を走りまして、チーム順位は12位でした。
私も18分台前半で走れたので良しとしましょう。(^o^)

アトミクラブでは、男子5チーム、女子3チームの編成で戦いに臨みました。結果は男子が、2位・5位・7位・10位、女子が優勝・4位・7位という素晴らしい成績を収めました。(^o^)

私のスタートが近づいてもハッキリと順位は把握できていませんでしたが、アトミクラブからは5チーム参加しているので、後ろから追い越されないように、それだけに集中して走ろうと決めていました。ですからタスキを受けたらとにかく必死で走りました。。

タイム的には満足すべきレベルではありませんが、持てる実力は出し切ったと思いました。他チームに抜かれることもなく、また最後はペースを上げて走りきりましたので、この点がとても満足です(^o^)

それにしても165チームエントリーしたと言うことは、65歳以上のランナーが165人走ったと言うことですよね~。高齢ランナーの健在は、実に素晴らしく美しい話ではないでしょうか。私も65歳になってから、このOB駅伝で走れるランナーでいられるかどうか…。
先のことは解りませんが、65歳になってからも声がかけてもらえるように、息の長いランナーになりたいと思いました。(^o^)

第22回横田駅伝
開催 6月11日(日曜日)
場所 東京都福生市、米軍横田基地内
主催 主催:
天候
結果 駅伝(4区間) 第2区 中澤修平 18:31 (公式) Men over454/77
(総合14/515) 1:10:26
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私は2区を走りまして区間タイムは18分31秒でした。

チームの順位はクラス別77チーム中4位(総合515チーム中14位)で惜しくも3位入賞を逃してしまいました。神宮ACでは、2チームエントリーして、もう一つのチームはクラス優勝を果たしました。おめでとうございます。ゴールタイム(ネット)は1:08:50で種目別順位1/77 総合順位8/515でした。優勝おめでとうございます。(^o^)

二つの参加チームは45歳以上のクラスでエントリーしたわけですが、この年齢は平均年齢が45歳以上という規定ですから、 若いランナーも老いたランナーも一緒に走る事は可能なんですね。戦力的に若い人が入れば、一方で高齢のランナーも加わらなければならないという事になります。

私たちのチームの1区は、バリバリのNさんという若手で、総合でなんと三位で中継所に入ってきました。ヒェ~~~、こんなポジションで駅伝を走ったこと無いよ~~。(^^;)

タスキを受けた以上は走らねばなりません。とにかく死にものぐるいで走り出しましたね。もちろんオーバーペースには警戒しながらです。最も私の年齢ぐらいになると、オーバーペースで走ることが出来ないんですよね。(笑)

若い選手が走るクラスには抜かれても良いですが、同じクラスには絶対抜かれたくない!。
その思いだけで走り続けましたが、結果としてひとつ順位を落としてしまいました。結果としてチームは4位となり入賞を逃してしまいました。しかしながらチーム数がかなり多いので、その中での4位ですから立派でしたよね。

大会当日は朝から雨…。傘を差しての会場入りとなり生憎の天候でしたが、時間が進むにつれてとても大勢の選手が参集しまして、かなり大規模な駅伝大会である事が解りました。

その大勢の選手の熱気に押されて雨など気にする暇もなく、テンションは十分に上げることが出来ました。駅伝というのはスタートするまでがプレッシャーがかかりますが、スタートしてしまえばプレッシャーが背中を押してくれますのでね。ある意味では単独参加の大会よりも気合いを入れて走ることが出来ます。プレッシャーを抱えながらも、その意味においても、駅伝は本当に楽しいものです。これからも駅伝参加の声をかけてもらえるように、万全の態勢でトレーニングに励もうと心を新たにしました。(^o^)

第2回みちのく秋田チャリティラン&ウォーク
開催 7月08日(日曜日)
場所 秋田県横手市、グリーンスタジアムよこて
主催 主催:みちのく秋田チャリティラン&ウォーク実行委員会
共催:横手市教育委員会
天候 曇り時々晴れ
結果 24時間走 招待選手 高橋勇市選手
記事

自走   伴走   応援

高橋選手の伴走で参加しました。

秋田県横手市の「グリーンスタジアムよこて」及び周辺走路を含めた特設会場で開催された第2回みちのく秋田チャリティーラン&ウォーク大会に、高橋選手の伴走で参加してきました。とてもアットホームな雰囲気でしたし、ほのぼのとした大会でした。(^o^)

東京やからは高橋選手や私を含めて10名が、また山形県からは高橋選手の大切な友人で走り(飲み?)仲間のMさんご夫妻とお子様がスタジアムに駆けつけて下さいました。また現地では高橋選手のご家族やご親戚の方々5名と合流しまして、賑やかな大会参加&応援となりました。(^o^)

この大会は24時間走がメインですが、個人種目として12時間走や6時間走、そして団体種目としてリレーの部も設けられていて “24時間走は荷が重いな”というランナーにも参加しやすい選択肢が用意されています。

今回高橋選手はゲストランナーということで、24時間走り続ける予定はありませんでしたが、走ったり休憩したり、睡眠をとっ たり、そして参加メンバーや御家族の方々と飲食を共にして、楽しい24時間を過ごさせて頂きました。

また現地では高橋選手の御家族の温かい歓迎を受け感激しました。24時間走という長丁場であるが故に、三度の食事などでは高橋選手のご自宅で多大なご馳走を準備して頂きましたし、寝具などの搬出入でずいぶんとご足労をお掛けしてしまいました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。(^o^)

また、大会実行委員会委員長であるOさんには、東京出発前の準備段階から、私たちを迎入れるべくメールなどで、頻繁にご連絡を頂きましたし、現地でも心温まるお声掛けを何度もいただき、最初から最後まで不安もなく楽しく走り続けることが出来ました。本当にありがとうございました。(^o^)

楽しかった大会参加の様子を、この『大会参加記録』で詳細に書き記したいところですが、何しろ24時間走ですので、詳しく書こうとすると 長大な文章となってしまいます。思い出に残る主要なポイントだけを、ここで皆様にご紹介したいと思います。

私達の参加メンバーのほとんどの方が、秋田県にある高橋選手の実家や田沢湖などには、大会参加やマラソントレーニングなどで、すでに何度か訪れています。私も久しぶりの訪問となりますが、今回は高橋選手の伴走だけではなく、24時間走スタートの前に開催される「伴走教室」の講師を、 アトミクラブのHさんと共に務めることになりました。

伴走教室は昨年も開催されたようです。高橋選手は昨年も参加していますので、昨年の伴走教室の流れに若干の修正を加え、基本的なストーリーを準備してくれました。Hさんが司会役を務め、私が高橋選手の伴走者として伴走の動きの具体的な動きなどを、見本としてお見せしました。その上で講習参加者に同じような動きを体験してもらおうという訳ですね。

幸い教室を開催する周辺部には、伴走ノウハウを具体的に説明するに相応しい段差や階段、芝地や不規則な植栽、そしてスロー プや水たまりなどなど…。視覚障害者ランナーには障害物となりうる場所がたくさんあって、これらの地形状況などを上手く取り入れて、アイマスクをつけたりしながら、リアルに視覚障害者の立場と、伴走者の立場を体験して頂きました。

視覚障害者ランナーの伴走は、それほど難しいものではありません。ですから、気楽に多くの方々に視覚障害者ランナーの伴走をやって頂きたいところですが、さすがに1時間程度ではマスターできるものではないので、転倒を防ぐための注意点やロープさばきの主要なポイントを、日頃経験することのないアイマスクを装着して歩い たり走ったりしながら、“視覚障害者ランナーの走ることへの困難さ”を体験して頂く事に主眼をおきました。

マイクを持つHさんは、とても落ち着いた語りでストーリーを展開してくれました。お陰で教室参加者に中身の濃い体験をしていただくことも出来まして、無事に「伴走教室」も12時間過ぎには無事終了の運びとなりました。

スタート時刻の3時までにはまだ時間があるので、私たちのメンバーは高橋選手の弟さんと共に、横手市内の観光地を少し回って “かまくら”や、横手公園内にある観光用に建てられた“横手城”を見学し、天守閣にも登って横手市内を一望してきました。この雪国ならではの“かまくら”を見学したときに、おみやげコーナーの一角に、高橋選手の顔写真が掲載してある煎餅 “オランダセンベイ”が陳列されていましたので、私はお土産にと買い求めました。

“オランダセンベイ”といえば、地元の酒田米菓さんが製造販売をしているようですが、大会会場である「グリーンスタジアムよこて」 に出張販売にきていました。高橋さんも、“オランダセンベイ”の売り上げアップに協力しようと、会場に到着してから一定の数量の箱にサインを書き込んでいましたね。

大会のスタートは午後3時となっています。スターターは招待選手でもある高橋選手がを務めることになっていました。大会実行委員長の音頭で、スタート前10秒間は参加選手全員でカウントダウンをしていきました。そしてピストルを一発鳴らして参加選手たちは一斉に走り出していきました。

一昼夜走り続けるという、とても長丁場の24時間走の始まりです!!。私たちはまず30周して、それから先は体力と相談しながら走り続けましょうという事になりました。最初は他の選手のペースも驚くほどゆっくりで、会話をしても苦しくなくルンルン気分で走れました。途中エイドに立ちより飲食を楽しみながら、そしてコース上に選手が行き交う部分がありますので、互いに会話を交わしたり、声援を送ったりと、ゆっくりながらも賑やかに走り続けました。

しかしながら、私は初めて24時間走を体験しましたが、初体験で最も印象的だったのは、“24時間は、気が遠くなるほど とてつもなく長い!”という事です。24時間走り続けるなんて…。とても人間業とは思えませんでした。ひたすら走り続ける選手を横に見ながら、私たちはしっかりと睡眠をとらせて頂きました。(笑)

例えば女子選手でも、トータル150kmを越えた選手がいましたね。私は、周回確認用の輪ゴムが、グリーンから赤に変わっているのを確認した上で、心から尊敬の気持ちを込めて “おめでとうございます”と言葉をかけさせて頂きました。さすがに終盤は歩きも入りましたが、彼女は最後まで前に進むことを諦めたりはしませんでした。

次に感嘆したことといえば、給水・給食に提供されるメニューの豊富さでした。数種類の飲み物とフルーツなどは、24時間いつでも食べることが出来ましたし、時刻が朝食や昼食などの時間になるとカレーや 焼きそば、ソーメン、おにぎり、具だくさんのみそ汁、チゲ鍋などなど…。朝食に出た「あきたこまち100%」のおにぎりの美味しかったこと。
アッ、サクランボもありましたね~。私はこっそりと何個も頂いてしまいました。

つぎからつぎへといろんなメニューが提供されるので、周回を重ねてエイド前を通過する時には“今度は何が食べられるかな…”と いう楽しみを持ちながら、選手の皆さんは走り続けたのではないかと思います。衛生面に気をつけながら、これだけ潤沢に飲食物を提供していくというご苦労は、並の苦労ではないと思いますね。実際テント内では、常時数人のスタッフが忙しそうに、昼に夜に素材を調理・加工して下さっていました。

実行委員長のOさんにお聞きすると、テント内のスタッフも楽しんで料理を作ったり、計測などのスタッフ業務に取り組んでいる との事。24時間走など長丁場の大会は、選手とスタッフが共に協力し合いながら、共に気を遣い労り合いながら作り上げていく必要が あるんですよとOさんは語っていました。という事は、選手はもちろんの事。大会スタッフもサポートする事に喜びを見いだしているのだなと心から感じ入り、何か新しい大会の有り様を発見をした気持ちです。そんな多くの人々がつながった大会で走れる事が嬉しくて、心が少し豊かになった気分です。

午後3時の大会終了間際には、多くの選手がチーム毎に、又は走っている間に友達になったメンバーなどと一緒になって、最後の 一周は同じペースで走り、手を繋ぎながらゴールしていきました。ゴールした選手たちはといいますと、他の参加選手を最大限の拍手と歓声でゴールに迎入れてくれました。とても感動的な大会終了シーンでした。タイムを競う競技大会では決してみられない光景ですね。

フィナーレを迎えようとしているこのような時こそ、走ることが大好きな私達に多くの言葉は必要としませんね。それぞれ走行距離に違いはあっても、すべてのランナーが自分と戦い続けた長い長い24時間でした。またリレーでお互いに責任を分担しながら走った24時間でした…。

目標に到達したランナーの皆さんおめでとうございます。あえなく撃沈したランナーもまた、いらっしゃったでしょう…。幾多のドラマは必ずしも私達に微笑んでくれなかったにしても、私達は同じ価値観を共有しながら走り続けた仲間なのです。その“戦いの時”を共に過ごしたランナー同士、気がつけば同じ仲間内のように心に迎入れていたのではなかったでしょうか。苦しくも長い戦いの末、ゴールした後の余韻を、今こうして大会中に出会った仲間と共に言葉少なに浸りたい…。

数多くの新鮮な驚きの体験と、見知らぬ人達との新たな出会いをありがとうございました。(^o^)

写真
みちのく秋田チャリティランの写真

【横手市内の公園にて】
公園内横手城の前にて記念撮影です。小高い丘の上に横手公園はありました。今から背後にあるお城に登ってみます。ワクワク。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

天守閣から見下ろす横手市内の様子です。横手市は地方都市ということもあり、中心部にも多くの緑地がありました。

みちのく秋田チャリティランの写真

ハイチーズ! 天守閣で記念撮影しました。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

【グリーンスタジアムよこて・大会コース】『グリーンスタジアムよこて』の正面の様子です。ここに受付やエイドサポート用のテントが設営されています。建物の中にトイレや休憩所があり、終日多くの人が行き交っていました。

みちのく秋田チャリティランの写真

コースになっているグリーンスタジアム前の直線道路です。コースは1周1.5kmの周回コースとなっており、ほとんど平坦ですが写真の奥の方が一部坂道となっているようです。

みちのく秋田チャリティランの写真

実際に走ってみますと、坂の長さ300m程ありました。走りに変化をつけてくれる反面、わずかな上り勾配なのですが終盤で歩きたくなりました。赤いタスキをかけている選手は、駅伝の部に参加しています。

みちのく秋田チャリティランの写真

芝地はテント村に早変わり!。長丁場の大会ですので、テントなどを持ち込んでの参加者が多いですよね。私達二人が、このテント前を通過するたびに大きな声で声援を送って下さいました。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

私達も大変お世話になりましたエイドステーションの様子です。いろんな飲み物はもちろん、食べ物も豊富に用意されていました。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

塩やパンやフルーツ、そして甘い御菓子は基本食材として常時提供されていました。私達は無理な走りをしなかったのでついつい食べ過ぎてしまったようです。(^^;)

みちのく秋田チャリティランの写真

朝食として用意された「あきたこまち」100%のおにぎりです。お世辞でなく本当に美味しかったですよ~。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

コースの周回数は「輪ゴム」の数で計測します。写真は選手がその輪ゴムを受け取っている様子です。

みちのく秋田チャリティランの写真

高橋選手の奥様です! 頑張ってくださ~い!。睡眠時間を除いて、精力的に走りを進めましたね~。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

東京から参加のTさんと、伴走教室でご一緒した素敵な女性のお二方です。Tさんはビールを飲みながらの走りでした~。それでもかなりの距離を走っていたので驚きです。

みちのく秋田チャリティランの写真

伴走教室の司会役を務めたアトミクラブ所属のHさんです。スタートから2時間程経過し、“みちのくの夕日”を浴びた笑顔が素敵ですね。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

東京から参加したSさんご夫妻です。いつも二人で大会に参加し、必ずペアルックできめて走るのだとか。羨ましく仲の良いご夫妻でしたよ~。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

山形県から駆けつけて下さったMさん親子です。まこちゃんは、お父さんのゼッケンを胸につけてご機嫌ですね。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

結局Hさんはトータルで目標としていた70kmを超えました。ウルトラランナーでもないのに驚きです。終盤は苦しくて歩きも入ってしまったようですが、最後まで本当に頑張りました。お疲れ様でした。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

東京から参加したKさんとTさんです。走るときは走る! 休憩するときは休憩!とメリハリをもってずっと走り続けていましたね。サクランボやスイカが美味しそうですね~。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

夜も明け皆さんと一緒に朝食の炊きたてご飯とみそ汁を頂きました。早朝なのにすでに多くの参加メンバーが“ひとっ走り”してきていましたよ~。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

山形県から駆けつけてくれたMさんご一家と、東京から参加のTさんです。Mさんご一家は「新潟中越地震」当時、小千谷市に赴任していて大きな被害にあったという体験を話して下さいました。

みちのく秋田チャリティランの写真

地元のスタッフや選手の方々です。右から二人目が「メル友」のマユサさんです。いつも有り難うございます。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

24時間走のゴール後に御家族や親戚の方と一緒に記念撮影をしました。高橋選手の御両親をはじめ御家族・ご親戚の方々には本当にお世話になりました。改めてお礼申し上げます。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

24時間走のゴール後に大会スタッフも含めた全員で記念撮影をしました。最後まで走り続けた人もリタイアした人も…。本当におめでとうございま~す。(^o^)

みちのく秋田チャリティランの写真

この笑顔の素敵な方が大会実行委員長の大友さんですよ~。彼の人柄そのままに、大会もほのぼのとした暖かみのある大会でしたね。ほとんど不眠不休に近い状況のなか、最後までマイクを持って選手に声援を送り続けていました。本当に有り難うございました。(^o^)

第10回東日本年齢別駅伝大会、第16回皇居レディース駅伝大会
開催 9月23日(祝日)
場所 東京都千代田区、皇居周回コース
主催 主催:東京走友連合
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝(4区間) 第2区 中澤修平 1:12:19 (公式) 年齢別の部 2位
記事

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4区間を競う駅伝大会です。私達のチームはSさん、中澤、Sさん、Iさんというメンバーで入賞目指して頑張りました。皆さんが頑張った為に我がチームは年齢別の部で見事2位入賞を果たしました。(^o^)

私は2区を走りまして区間タイムは少し遅めの18分56秒でした~。(^^;)
この周回タイムにはガックリしましたが、走りとしてはそれほど悪くなく、同じクラスの選手1人抜いて順位を一位上げたのは嬉しかったですね。

神宮ACは一般の部やレディースの部でも入賞を果たしました。凄いですよね。駅伝は走っている間は本当に苦しいのですが、チームに貢献してのタスキを繋ぐのは本当に楽しいものです。これからも声をかけてもらえるように頑張ります。(^o^)

 
第30回横手ロードレース大会
開催 10月01日(日曜日)
場所 秋田県横手市、横手南小学校
主催 主催:横手市、横手市教育委員会、横手市体育協会
天候 晴れ
結果 10km 男子一般 高橋勇市選手 39:37 (公式) 第4位
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東京からは高橋選手ご夫妻、袴田さん、山下さん、小野さん、そして私も末席に加えさせて頂き、6人のメンバーで秋田県横手市に向かいました。また地元からもマユサさんやカジビさんなど数名の方々が参集して、賑やかな遠征となりました。(^o^)

この秋田遠征を最も心待ちにしていたのは、他でもない高橋選手ではなかったでしょうか。
彼の出身地横手市でのIPC陸上競技世界選手権金メダルの祝勝会と、彼の自筆の自伝『かけはし』の出版記念祝賀会をセットで 開催する事と、横手ロードレース大会での招待選手として出場という三つの大きなイベントが予定されているのです。私達も高橋さんご夫妻と共にこの日を心待ちにしていました。

今年の夏も暑かったですが、その暑い日々の中で高橋選手はひたすらキーボードを叩いていました。そうです。彼のこれまでの自伝 『かけはし』の出版予定日が迫っていたのでした。高橋選手から聞いてみると、驚くことに必死に『かけはし』を書き上げたというのではなく、この夏は書き上げた文章の削減に苦労していたというのです。

出版された『かけはし』のページ数は400ページあまりですが、実際の原稿のページ数は、なんと800ページに相当するという膨大な文章をこれまでに書き上げたのでした。乾いたタオルを絞るように苦労して書いたのではなく、泉が湧き出るようにサラサラと書き上げてしまったというのですから驚きですよね。

しかしながら残念なことに自費出版であるが故に、予算もあるので本のページ数も制限せざるを得ません。苦労して書き上げた愛おしくもある文章を、約400ページあまり削除しなければならなかったのです。

私は出版関係の仕事をしたことはありませんが、文章というものは恐らく書き上げるよりも、書いた文章を一部削り取る方がよほど難しいのではないかというのはよく理解できます。こうした苦労がありましたが、彼は念願の自伝『かけはし』を自らの手で完成させたのでした。(^o^)

私も事前に原稿を拝見させて頂きましたが、驚くほどの記憶力に感嘆もしましたし、文章の流れも滑らかで本を読んでいるというよりも、音楽を聴いているといった方がより正確な印象です。その“流れるようなメロディー”も、それは「モーツァルト」の癒しの楽曲に近いですね。ちょっと持ち上げすぎたかな~~~~。 (^^ゞ

横手ロードレース大会の前日、『かけはし』出版記念祝賀会がお披露目となりますが、ぜひ多くの方々に読んでいただき、長く愛される 本で有り続けてほしいですね。

祝勝会兼『かけはし』出版記念祝賀会も盛況の中で開催されました。地元のマユサさんやカジビさんなども駆けつけ会を盛り上げて下さいました。そしてやはり横手市長五十嵐氏の祝辞がとても印象的でしたね。郷土を愛する高橋選手の気持ちに答えるかのように、横手市は暖かく高橋選手を迎入れます。これからも郷土の誇れる人間になって ほしいと強く語って下さいました。

『かけはし』にも、郷土で少年時代を過ごした思い出が詳細に記載されています。やはり“故郷”とは、人それぞれの脳裏に深く刻まれた、忘れがたく胸をキュンとさせるほどの大いなる原点でもあるのですね。少年は大人となり、成人となった今その“故郷”に恩返しが出来る…。なんと素晴らしい話ではないでしょうか。

東京は雨なのに、こちらは抜けるような快晴です(^o^)。ヤッター
高橋選手は招待選手としてこちらに参りましたので、おそらく朝から気楽でしょうね。 他の参加メンバーは、それぞれ自分のレースに参加する予定です。ガンバルゾ! 地方大会であるが故に参加選手も少ないことから、皆が入賞目指して走ることになっています。

開会式も定刻に始まりました。招待選手として招かれた高橋選手も、壇上に上がり大勢の前でスピーチしました。 “私が今あるのは故郷である横手市のお陰、故郷をいつまでも心の中心におき、これからは郷土の発展に貢献していきたい…。” と故郷への思いを熱く語って いました。さすがです。素晴らしいスピーチだったと思います。しかも、この言葉は決してこの場限りの気の利いたコメントなどではなく、日頃の彼の本心でもあるのです。故郷への“愛情”は、幾度となく聞かされている私が言うのですから間違いありません。(^o^)

続いて、昨日ご挨拶頂いた横手市長五十嵐氏がここでも、来賓祝辞として述べていました。さすがですよね。ここでは小学生・中学生にも理解できるように、言葉を選んでやさしく高橋選手を招聘した理由などを語っておられました。

レースも始まり3kmの部などで小学生が賑やかに走り出していきました。そしてやがて私達が走る10kmレースのスタートが近づいて参りました。この大会最長の10kmレースには私も走りますし、東京から来た女性陣も走ることになっています。

そしてスタート!。坂道はほんの一部しかないと聞かされていたのに、かなりのアップダウンがありました~。“坂道がほんの少し”なんていうのは嘘っぱちでした。(笑)

かなり苦しい思いで走りましたが、幸いにも4位に入賞を果たすことが出来て嬉しかったですね。女性陣も2位と3位に入賞を果たし、壇上に上がりたくさんの副賞をもらいました。(^o^)

全員無事にゴールし現地に参集したメンバーや御両親・御家族の方々を交えて、グランドにシートを敷いてお昼ご飯を食べました。私も何か子供の頃の運動会を思い出して、妙に心がウキウキした思いに浸り、子供返りしちゃったりして御両親に甘えたりしちゃいました。今回もまたまた御両親や御家族、特に弟さんの勇さんには本当にお世話になってしまいました。

参加したメンバーも御両親や御家族の皆さんに厚くお礼を申し上げ、横手駅にて皆さんとお別れしました。途中乗り換えのために下車するJR北上線『ほっとゆだ駅』では、文字通り駅内で温泉に入れるのにはビックリしました。

待ち時間が一時間以上あるわけですが、さすがにランナー仲間だけあって、誰と言うこともなく“ジョギングで湯川温泉あたりまで走ってきませんか”という 提案があり、もちろん反対する人もなく、更衣室で着替えて片道5kmの自然豊かな道をジョギングレベルで走って、紅葉が始まって いる風景を楽しみました。(^o^)

もちろん駅に戻ると駅舎内にある“温泉”で汗を流し、ゆったりとお湯に浸かった事は申すまでもありません。楽しかった二日間の出来事をお土産に新幹線に乗り換え東京を目指しました。車内では、理由は分からないのですが、空き缶が驚くほど発生したことは内緒ですよ。(^o^)

写真
横手ロードレースの写真

【祝賀会および出版記念パーティ】
9月30日横手市内のホテルで陸上競技世界選手権での金メダル祝勝会および出版記念パーティが開催されました。高橋選手夫妻も壇上に上がり、横手市長五十嵐氏の心温まる祝辞を受けました。(^o^)

横手ロードレースの写真

高橋選手らが録画した2006陸上競技世界選手権大会の様子を大きなスクリーンで観戦しました。ビデオ機器操作に詳しいYさんがセッティングし、映像の解説もして下さいました。

横手ロードレースの写真

お祝いに駆けつけてくれた横手市市長五十嵐氏と写真撮影です。高橋選手は五十嵐市長とかなり長時間楽しそうに話し込んでいました。

横手ロードレースの写真

高橋選手の御家族の皆さんです。右から弟さん、お姉さん、お母さん、東京から駆けつけたHさんです。一番左側の男性は高橋選手のお父さんではなく叔父さんのSさんです。

横手ロードレースの写真

【横手市内の高橋選手の自宅にて】
祝賀パーティでお腹いっぱい食べてきたのに、高橋選手の自宅ではご覧のようにたくさんのご馳走を準備してくれていてビックリしました。しかしながら私達は別腹があるかのように、再び飲んだり食べたりと楽しい一時を過ごしましたよ~~~。(^o^)

横手ロードレースの写真

【横手ロードレース大会会場】
高橋選手はゲストランナーとして壇上に上がり、生徒の前でスピーチしました。高橋選手は横手市が大好き!郷土への思いを熱く語っていましたね。(^o^)

横手ロードレースの写真

祝辞を述べる横手市長の五十嵐氏です。高橋選手を郷土の誇りとして迎えたいと、子供達に解りやすいように話をしておられました。(^o^)

横手ロードレースの写真

さあ選手宣誓です!。地元の親子で参加する選手が力強く選手宣誓を行いました。

横手ロードレースの写真

さあスタートです!。クラス毎に選手が勢いよく飛び出していきました。

横手ロードレースの写真

東京から参加したOさんです。彼は中国語がペラペラなんですよ。パラリンピック北京大会では通訳をお願いしよっと。(^o^)

横手ロードレースの写真

東京から参加のYさんです。高橋選手と同じ会社なので、身近な事も含めて熱心に高橋選手のサポートをして下さっています。(^o^)

横手ロードレースの写真

全員がゴール後記念撮影をしました。天気はバッチリ快晴!。皆さん共に思い出に残る楽しい大会参加となりましたね。有り難うございました。(^o^)

横手ロードレースの写真

女子10kmの部で見事3位に入賞したHさんです。おめでとうございま~す。(^o^)

第31回高島平・日刊スポーツ・ロードレース大会
開催 10月22日(日曜日)
場所 板橋区高島平、高島第七小学校
主催 主催:(財)板橋区体育協会、日刊スポーツ新聞社、(社)東京陸上競技協会
主管:板橋区陸上競技協会
天候 晴れ、暑かった(^^;)
結果 10km 高橋勇市選手 36:04 (公認) 40歳代 12位
記事

自走   伴走   応援

高橋選手の伴走で参加しました。

この大会ではSさん、私、そしてIさんの三人のリレー伴走でサポートしました。近年は伴走でこの大会に参加しますが、私も走力的に全盛期の頃は、この大会の常連でした。
相対的に小規模な大会ではありますが、精神を集中させて走るには適正な規模だと感じていました。また実業団や大学生のバリバリの選手が多数参加しますので、“競技会”という表現がピッタリの素晴らしい大会です。(^o^)

高橋選手は10kmにエントリーしています。スピード系のトレーニングが十分に出来ていないので、目標タイムは少し遅めに設定!。前半をSさんと私で、後半はIさんが伴走して走ります。私の伴走距離は少ないですが、リレー伴走ですからね。走るリズムが出来る限り同じになるように細心の注意を持って走りまし た。

コモディイイダ陸上部のIさんと、Kさんのお二人には初めてお会いしました。仕事はかなり忙しそうですが、走るモチベーションは相当高いレベルを維持されているようで、精力的に日々トレーニングをされているようです。

特にKさんは5kmの部で見事4位入賞を果たしました。この高島平で入賞するというのは、走力の裏付けがなくては叶いませんから本当に嬉しいのではないでしょうかね。

高橋選手もまずまずのタイムでゴールしたので満足そうでした。11月の大会に向けて弾みがついたようです。これからは走り込みと共にポイント的にインターバル走で刺激を入れていくと話していました。(^o^)

写真
高島平ロードレースの写真

7km地点付近を力走する高橋選手と伴走のIさんです。二人は身長もほぼ同じでピタリと息が合いリズミカルに走りを進めていました。(^o^)

高島平ロードレースの写真

高橋選手はラスト1km地点を通過!。頑張って!!

高島平ロードレースの写真

お疲れ様~~。(^o^) 素晴らしい伴走をしてくれたのは「コモディイイダ」陸上部のIさんです。伴走のIさんはご自身の5kmレースを終えてすぐの、休む間もなくすぐに高橋選手の伴走で走ったのです。すご~い。(^o^)

高島平ロードレースの写真

5km一般男子で見事4位入賞を果たした「コモディイイダ」陸上部のKさんです。この大会での入賞はかなりハードルが高いと思いますよ。おめでとうございま~す。(^o^)

高島平ロードレースの写真

参加したメンバーの皆さんです。三人での伴走でしたが、Sさんは20kmレース参加のため写真には写っていません。ご免なさい。

高島平ロードレースの写真

【アキレストラッククラブ練習会】
高橋選手は高島平ロードレース参加の後移動して、アキレストラッククラブの練習会に参加させて頂きました。(^o^)

高島平ロードレースの写真

練習で十分に汗を流し、サッパリとした表情の高橋選手とタカさんです。(^o^)

第28回河原駅伝大会
開催 10月29日(日曜日)
場所 川崎市幸区、多摩川河川敷
主催 主催:新日本スポーツ連盟神奈川県連盟
主管:神奈川県ランニングセンター
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝 混合の部 2:41:58(公式)
記事

自走   伴走   応援

関東にお住まいなら大概のランナーが新日本スポーツ連盟神奈川県連盟が主催する大会に参加したことがあるのではないで しょうか?。
この神奈川県連盟は尊敬に値するほどエネルギッシュな団体ですよね。これからもぜひ私達ランナーの為に、楽しいイベントや大会開催を続けて頂きたいと思います。

今年の河原駅伝は107チームが走りました。規模は少し小さめですが駅伝は駅伝です!。駅伝大好き病の私も存分に楽しんできました。(^o^)

私達チームの参加した「混合の部」は、男女が一緒になってチームを作り、所定の区間を男女でリレーします。私も女性からタスキを受け取るのは初めての経験ではないかと思いますが、それもまた楽しい一コマでしたね。私は4区でしたが、2区にタスキが渡った時点で二位以下を大きく引き離し独走態勢に入ったのでした。という訳で特段のプレッシャーもなく走ることが出来ました。タイム的には8kmを30分33秒でした。

気分的には楽に走れましたが、だからといって手を抜くような走りはしませんよ~。順位的には優勝が確定したようなものですが、このような前後に競争相手が居ない場合は、自分との戦いが焦点となりますよね。自分で自分のお尻にムチを入れ、8kmのあいだ気を緩めることなく頑張って走り続けました。そして5走の女性ランナーにタスキを渡しました。

競技結果は「一般の部」は昨年と同じ3位です。上位チームは相変わらずレベルが高いので3位でも立派ですよ(^_^)v。「混合の部」はAチームがダントツの走りで、なんと5連覇を決めました。Bチームも2位でゴールし、ワンツーフィニッシュとなりました。(^o^)

振り返ってみますと、駅伝大会を走ったのは今年に入ってから5回なんですね。いつ走っても駅伝は楽しいの一言に尽きます。年内にあと2回駅伝大会に参加して走る予定ですから、故障しないように気をつけて頑張って走り続けたいと思います。(^o^)

写真
河原駅伝の写真

「これぞ駅伝!!」競り合う二人の顔がゆがんでいます。長い距離二人はトップを譲ろうとしませんでしたが、最後は神宮ACのKさんが前に出ました。(^_^)v

河原駅伝の写真

「混合の部」のトップを走る神宮ACのKさんです。終始安定した綺麗な走りで独走してましたから、見ている私達も安心して応援できました。(^o^)

河原駅伝の写真

力走を続ける神宮ACのベテラン選手Sさんです。最近は故障に泣かされているそうですが、今日はベテランらしく見事な走りを見せて下さいました。(^o^)

河原駅伝の写真

気合いの入った表情で走り続ける神宮ACのエースSさんです。フォームが非常に綺麗なランナーです。今日もビシバシ前のランナーを抜いていきました。(^_^)v

河原駅伝の写真

最後に駅伝参加者全員でハイチーズ。「一般の部」3位、「混合の部」優勝と準優勝という素晴らしい結果となり、皆さん笑顔いっぱいですね。皆さんおめでとうございま~す。(^o^)

第25回ねりま光が丘ロードレース大会
開催 11月12日(日曜日)
場所 東京都練馬区、都立光が丘公園
主催 主催:(社)練馬区体育協会
共催:練馬区教育委員会
主管:ねりま光が丘ロードレース実行委員会
天候 晴れ、風が強かった
結果 10km 高橋勇市選手 36:23(公式)40歳代 7/137
記事

自走   伴走   応援

高橋選手の伴走で参加しました。

この大会ではMさん、私、そしてNさんの三人によるリレー伴走でサポートしました。 視覚障害者ランナーにとっては、この大会コースは少しばかり転倒リスクが高いですね。公園外周は一車線規制しておらずランナーが三人は並んで走れないコース幅なんですから厳しい。転倒リスクを少しでも減らそうと、私達は三人で細かく区分けして“分割伴走”を試みました。結果として幸いに転倒事故などもなく、無事にゴールできました。

高橋選手がゴールしてからしばらくして、今度は高橋選手の奥様Yさんがゴールしましたが、“また自己記録を更新しちゃった(^o^)”と私達の前に走ってきました。奥様Yさんは、このところ連続的に自己記録を更新しています。「記録は伸びるときに一気に伸ばす」というのがセオリーですから、当分の間練習も気合いを入れて頑張ってほしいですね。

Yさんは入賞していることが分かり、お友達のKさんも優勝していることから、一緒に表彰式に臨みました。高橋選手は走り込みの疲労を貯めた状態での走りだったため、残念ながら入賞は逃しましたが、下旬のマラソン大会に向けてスピード練習が出来たので、良い刺激になったと思います。(^o^)

写真
ねりま光が丘ロードレース大会の写真

横手ロードレースに続きまたもや入賞しましたね。3位の表彰を受けニッコリと微笑むYさんです。おめでとうございま~す。(^o^)

ねりま光が丘ロードレース大会の写真

Kさんは10km女子の部で見事に優勝を果たしました。おめでとうございます。(^o^)

ねりま光が丘ロードレース大会の写真

お疲れ様~~。今回は私達が伴走&サポートをしました。高橋選手の奥様Yさんも表彰状をいただきご機嫌です。連続入賞ですからね。また伴走のMさんは伴走経験は浅いですが、ベテランのような素晴らしい伴走をして下さいました。有り難うございました。

2006東京国際女子マラソン大会兼第11回世界陸上競技選手権大会代表選手選考競技会
開催 11月19日(日曜日)
場所 新宿区、国立競技場
主催 主催:(財)日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日
主管:(社)東京陸上競技協会
天候 雨、寒かった(^^;)
結果  
記事

自走   伴走   応援

東京国際女子マラソンの応援に行ってまいりました。(^o^)

視覚障害者ランナーの安部選手(伴走松原選手)と視覚障害者ランナー高橋選手の奥様の高橋選手、そして加藤選手の三選手の応援団、 通称“メガホン応援団”の一員として、雨の降りしきる都内を地下鉄を駆使し、モグラのごとく地下に入ったり出たりしな がら、雨のなか頑張って走り続ける選手の応援に駆けまわりました。

三選手の応援の他に、金野選手という視覚障害者ランナーが走りますし、私の所属する『アトミクラブ』からは40名、『神宮AC』からは10名余りの選手が走りますので、 次から次へと顔見知りの選手が通過するという状況でしたから、寒さを忘れる程の応援のしがいがありました。(^o^)

この2006東京国際女子マラソン大会は、「国際の部」と「市民の部」とがあり、「市民の部」に二人の視覚障害者ランナーが走ります。金野選手(伴走松浦選手)と安部選手(伴走松原選手)です。

彼女らは共に大阪国際女子マラソン大会に参加するのが夢なのです。そうなんです。3時間15分切りの目標を達成するために、この東京国際女子マラソンのスタートラインに立ちました。彼女らは、この日のために厳しいトレーニングに耐え、たゆまなく努力を継続してきたのです。

伝え聞く情報によれば、金野選手は目標達成の可能性は非常に高いと思われます。彼女は『代々木公園・伴走伴歩クラブ』というクラブチームなどの練習会に毎週のように参加し、精力的に走り込んで参りました。金野選手や安部選手のたゆまない努力を知っているが故に、私的にはこの大会でぜひ目標を達成して頂きたいところですが、その行方は…。

私達は国立競技場でのスタート・ゴール、そして4ヶ所の沿道で応援を送りましたが、13km付近と28km付近での力走する選手の様子をリポートします。

【13km付近】
増上寺の近くでの応援でしたが、このあたりはまださほど雨が強くなっておらず、各選手の表情もまだまだゆとりある雰囲気でしたね。大きな声での応援に、笑顔を返してくれる選手が多かったです。通過する選手を見送ったなかで一番の印象といえば、松田選手を中心にした大きな集団でしょうか。やはり華やかな雰囲気を振りまきながらの走りは、集団のなかで一際目立っていましたよね。

視覚障害者ランナーの金野選手(伴走松浦選手)らは、順位的に素晴らしいポジションで通過していきました。目標である3時間15分切りを目指して積極的な走りをしているようでした。

もう一人視覚障害者ランナーの安部選手(伴走松原選手)がなかなか来ないので心配しましたが、ちゃんと通過していきました。前半は抑えて走るといっていましたから予想はしていましたが、やはり心配になりますよね。でも後半は粘れる選手ですから、グングンと上げていくことでしょう。

【28km付近】
JR品川駅と田町駅の中間ぐらいで応援しました。さすがに、雨は降り続き時間の経過と共に体感気温もかなり下がって参りました。走る選手らの寒さとの辛い戦いが想起されます。

しばらく待っていると土佐選手と高橋選手がツートップで通過していきました。視覚障害者ランナーの高橋選手は、高橋選手の大ファンなので、大きなメガホンを使ってビックリするぐらいの声量で声援を 送っていました。(^o^)

まずは加藤選手が寒さに堪える表情ながら、手を振って笑顔で通過していきました。続いて高橋選手の奥様がやって来ました。私達の前で、高橋尚子選手がシドニーオリンピックでサングラスを外して投げたように、私達の前でサングラスを外し投げてきました。「さあこれからよ」という表情をしていましたので、私達も大きな声で激励の言葉を投げかけました。

視覚障害者ランナーの金野選手(伴走松浦選手)も、相変わらず良いポジションで通過で通過していきました。私達の応援に笑顔で反応してくれましたので、まだまだ頑張れそうですよ。(^o^)

視覚障害者ランナーの安部選手(伴走松原選手)も元気に通過していきました。後半上げると語っていたように、かなり順位を上げてきたのがハッキリと解るようなポジションでしたね。多くの選手が、さすがに寒さによると思われる疲労感が顔に出ていましたので、私達も出来る限りの声援を各選手に送り続けました。

国立競技場のゴールライン付近には、時計が二台設置されていますが、私は時計と次々とゴールするランナーを交互に見ながら3時間15分という時を待ちました。結局、視覚障害者ランナーの金野選手は15分以内に競技場に現れませんでした…。(^^;)

ひとつ断言できるのは、金野選手を支える多くのサポートメンバーが、今回の東京国際女子マラソンで、15分切りを達成すると信じて疑わなかったのではないでしょうか。そう確信できるほどに走り込みを継続し、周到にメニューを組み合わせ、負荷をかけトレーニングにも耐えてまいりました。参加する大会参加のゴールタイムや、タイムトライアルなどのデータから、確かな手応えを得ていたのです。

「この冷たい雨でなかったら…。」これが、走った二人をはじめサポートメンバー共通の悲痛なる心情ではなかったでしょうか。

金野選手はそれでも自己記録更新につなげましたが、大阪に行くための目標の15分切りが叶わなかった為に、ゴール直後は悔しくて涙が止まらなかったと伝え聞いております。
恐らくは金野選手と手を携え、共に厳しいトレーニングを重ねてきた伴走者の松浦選手も同じぐらい悲しかったに違いありません。

しかしスタートラインに立った「市民の部」401選手の中で、DNFで涙を呑んだ選手が98名にものぼるのです。これは実に四人に一人の割合でリタイアを余儀なくされたのであり、特に復路についていえる事ですが、いかに過酷な寒さとの戦いであったかと実感できますよね。

そのなかで、金野選手はリタイアすることなく耐え凌ぎ、自己の走力よりも遅れること数分で、この寒さを乗り切った精神力は 高く賞賛されるべきではないでしょうか。もちろん、その数分が大きく明暗を分けたわけですが…。

いずれにしても、今回は“ストーリーの完結を少し遅らせてやろう”と、ランニングの神様が少し意地悪をしたにすぎません。金野選手と伴走の松浦選手は、今シーズン中に大いなる目標に到達する可能性が極めて高いと断言できるでしょう。もちろん、私も金野選手が今シーズン中に再挑戦すると信じて疑わない一人です。

金野選手と伴走の松浦選手によるこの明確なる目標達成への固い決意に、意地悪な神様といえども、次回こそは邪魔することは出来ませんよ。(^_^)v。

一方の安部選手は、残念ながら自己記録更新も成りませんでした。敗因はやはりこの冷たい雨にあると思われますが、ラップでは撃沈しておらず次につながる走りが出来たと思われます。

伴走の松原選手もよく頑張りました。少し前に風邪を引いてしまったとのことで、少なからずプレッシャーがあった ようですが、持ち前の精神力で見事に大きな仕事を成し遂げました。伴走の松原選手にも、心からの拍手を送りたいですね。パチパチ。(^o^)

 

挑戦の旅は続く…。
視覚障害者ランナーである金野選手と安部選手には、いくつかの共通点があります。
それは、
1,目標へ向かって努力を継続できるタフな精神力を持っている。
2,アスリートとしての自己を律する能力に優れている。
3,多くの熱意あるサポートメンバーに恵まれている。

これらの高い資質と、大いなる目標とを失わなければ、彼女らの前途を遮るものはなにもありません。一昔前なら、“危ない、前例がない”と一般のマラソン大会に参加するのを断られ、悲嘆にくれたりした事も少なくなかった視覚障害者ランナー。
時は流れ、今はこうして国際マラソン大会への出場を目指す選手の輩出をみるまでになりました。彼女らのたゆみない挑戦の日々が、これからも新たな可能性の扉を開け続けるに違いありません。

写真
東京国際女子マラソンの写真

マラソン中継をする国立競技場の巨大な電光掲示板に今は大会名が描かれています。この大会は来夏大阪で開催される世界選手権の選手選考大会を兼ねています。画像右下になぜか人が一人寂しく…!。確かに傘は要らないが…。(^^;)

東京国際女子マラソンの写真

正午の気象情報です。雨も降り始めていましたし、体感的にはすごく寒く感じました。

東京国際女子マラソンの写真

スタート5分前となり選手はスタートラインの前に並びました。「国際の部」「市民の部」あわせて550名の選手によるフルマラソンの熱き戦いが始まろうとしています。雨の中のスタートはここ10年来無かったかもしれません。いずれにしても寒さと雨で、厳しく試練のレースとなりそうです。

東京国際女子マラソンの写真

スターターがピストルを高く構えました。間もなくスタートです!!。高橋選手や土佐選手の姿も見えます。全選手にとって緊張の一瞬ですよね。

東京国際女子マラソンの写真

400mポイントを二人のペースメーカーを先頭に通過するトップグループです。赤いランニングの土佐選手、白い帽子をかぶった高橋選手も見えます。

東京国際女子マラソンの写真

【13km付近】
すごい集団がやって来るなと思ったら、松田選手が中心に居て納得です。やはり華やかな印象がありましたね。男子マラソンには無い雰囲気です。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

我が “メガホン応援団”の熱い声援を受け、金野選手がチラッと笑顔で答えてくれました。伴走は金野選手と目標を同一にして共にトレーニングを重ねてきた松浦選手です。

東京国際女子マラソンの写真

元気に13km付近を通過していった高橋選手の奥様Yさんです。高橋選手の応援する声が一段と大きくなったのはもちろんです。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

安部選手も我が “メガホン応援団”の熱い声援に笑顔で答えてくれました。伴走は元実業団選手である松原選手です。二人は羨ましいほどの信頼関係で強く結ばれています。頑張れ。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

【28km付近】
頑張れ金野選手、そして伴走の松浦選手!。すでに復路に入っており向かい風となっています。雨で気温が一段と冷えてきました。望遠レンズで撮影したため、まだ応援に気づいていませんが、ここでも笑顔で答えてくれました。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

頑張れ安部選手そして伴走の松原選手!。寒さに弱い安部選手は、体全体にワセリンを塗り防寒対策をして走っています。前半は抑えて後半上げていくと語っていましたが、その通りに順位を上げてきました。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

目標である15分切りはなりませんでしたが、見事自己記録更新でゴールする金野選手!。この寒さの中での自己記録更新は高く評価されますよね。本当におめでとうございま~す。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

30分を切ってゴールすることができた安部選手です。ラストスパートも素晴らしい。寒さに弱い安部さんがここまで走りきった点が凄い。次につながる走りでしたよ。本当におめでとうございま~す。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

【「魚民」にて打ち上げパーティー】
左から加藤選手、高橋選手、安部選手、そして伴走の松原選手です。視覚障害者ランナー高橋選手の突然の“完走おめでとう”ケーキのプレゼントに大いに喜ぶ皆さんです。それにしても皆さん1時間程前はあの雨の中を42km走っていたとはとても思えない笑顔ですよ。女性恐るべしですね。(笑)

東京国際女子マラソンの写真

安部選手らの強力なサポートメンバーである皆さんそろい踏みです。左からHさん、I さん、Yさんです。皆さんによる視覚障害者ランナーへの伴走を含めた献身的な貢献には頭が下がりますね。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

宴も盛り上がりロレツが回らなくなってきた人が一人いますね~。左から“飲んでから走りましょう ” アッ違った “走って飲みましょう” がモットーの神田ジャーマンのHさんです。高橋選手がたいへんお世話になっています。そしてその高橋選手、伴走の松原選手、素敵なプレゼントを用意してくれた心優しき高橋選手ですよ。(^o^)

東京国際女子マラソンの写真

ワォ! こちらも仲良くご機嫌ですね~~。(^o^)(^o^)(^o^)
左側は高橋選手の最も信頼の厚いNさんです。右側は美味しいケーキを食べてご機嫌の加藤選手です。皆さんお疲れ様でした。(^o^)

「母からのひも支えに 視覚障害者の走者挑む」

【読売新聞】平成18年11月16日

19日に行われる 東京国際女子マラソン(日本陸上競技連盟、朝日新聞社、テレビ朝日主催)の市民の部に、視覚障害がある 練馬区の安部直美さん(33)が出場する。伴走者と一緒に持つ細いひもは、3年ほど前に実家の母が送ってくれたもの。「走りやすくて気に入っている」。このひもで、本番に臨む。
(内山美木)

午後7時、都内の競技場。ストレッチを終えた 安部さんは、伴走者の右ひじを軽くつかみ、歩いてトラックへ。
2人のあいだには、輪になった1メートルほどのひも。安部さんは、左手の中指と薬指に軽くひっかけて走り出す。
「握ろうとすると、力が入りすぎて走りにくいんです」。1時間、トラックを走り続けた。

走るのは いつも伴走者の右側だ。ふだん右手で白杖(はく・じょう)を持ち、同行者がいるときは左側にきてもらう から、違和感がない。

約20人のランナーが交代で、練習や大会での伴走をつとめる。この日の練習の伴走者、志甫(し・ほ)優香(ゆう・か) さん(29)は「風の強い日の練習で、ひもを離しちゃったことがあるんです。でも安部ちゃんは、あわてずにどっしりと 構えていて。私のほうが頼って走ってる」。
安部さんは「(伴走者がひもを離してしまうと)こわいですけど、たまには起きてしまうことだから」。

ひもは、切れないようにある程度の太さは 必要だが、「太すぎると、雨にぬれたとき重くなる」という。いまのひもは 、3年間使い続けている。大分の実家の母が「ちょうどいい太さじゃない?」と、米や野菜と一緒に送ってくれた。

1歳のころ、光に強く反応する娘を両親が病院に連れていき、視覚障害がわかった。左目の視力が0・02。右目はま ったく見えない。
家族と暮らしたのは、4歳までだ。それから盲学校の寮に入り、高校を卒業するまで大分の寮で過ごした。
その後、東京に。寮のある、マッサージの学校での3年間を経て、一人暮らしを始めた。

走り出したのは、その数年後だ。盲学校からの友人に誘われ、一緒に公園を走ってみた。「運動するのは気持ちいいな」と 感じた。

10年経(た)ったいま。3時間23分47秒という自己記録をもつまでになった。今大会の目標タイムを尋ねると、「自 分の力を出し切ることが目標」だと話す。

■有森さん伴走が縁で仲間広がる
安部さんがマラソンに本腰を入れたきっかけは2000年、10マイルの部(約16キロ)に出場した「国際盲人マラ ソンかすみがうら大会」だった。
同大会に 伴走ランナーとして毎年参加している、五輪メダリストの有森裕子さんが 伴走してくれた。
有森さんに、練習をみてくれる伴走者を探していると相談したところ、実業団で活躍した土岐(旧姓村中)真保美さん (40)を紹介された。

当時の安部さんは速いランナーではなく、練習に長く付き合うつもりはなかった と、土岐さんは振り返る。「でも一緒に 走るうちに、安部さんの一生懸命さと人柄のよさに惹(ひ)かれてしまって。強くなってもらいたいと思うようになりまし た」。土岐さんは育児が忙しくなった昨年まで練習に付き添い、助言を続けた。

安部さんはいま、一般企業でマッサージ師として働きながら、多くの伴走者と日々走っている。

第31回河口湖日刊スポーツマラソン
開催 11月22日(日曜日)
場所 山梨県、河口湖周回コース
主催 主催:日刊スポーツ新聞社、富士河口湖町、山梨陸上競技協会
共催:日本知的障害者陸上競技連盟
主管:山梨陸上競技協会
天候 曇り
結果 フルマラソン A選手 3:02:26(公認)一般の部(③18~34歳)162/5385
記事

自走   伴走   応援

A選手の伴走で参加しました。

河口湖マラソンは10年以上前に一度走っていますから、とても懐かしい思い出もあり、久しぶりに走れることを楽しみにして いました。フルマラソンのスタートは朝7時45分ととにかく早いので、Aさんの御家族と共に河口湖畔にある民宿に泊まりました。宿は『RESORT民宿 ぎんせん』といいます。新築してから二年ほど経過しているという、和風建築の素敵な宿でした。別棟に合宿棟があり、各種の団体受け入れも出来るという話で、夏は大勢の団体宿泊で賑わうのだそうですよ。

大会の朝、河口湖畔は氷点下0.4度!。しっかりと霜柱が立っていました。バッチリと防寒対策はしていたので、想定の範囲内という事もあり、スタートー向けて準備万端整えていきました。

天候は午後から雨との予報なのですが、雨の心配は全くといって良いほどありませんでした。適度な温度と湿度であり、記録を狙う観点からは絶好のコンディションと言えるでしょう。

A選手は以前にサブスリーを達成していますが、最近はサブスリーから遠ざかっていることもあり、今回も再挑戦する事になりました。

私はサブスリーランナーの全てを伴走する走力はありませんので、25kmポイントからゴールまでを伴走してサポートする予定です。予定通り午前7時45分にスタートしましたが、スタート前後の走路が狭いこともあり、1万人もの選手が通過するのに驚く ほどの時間を要していましたね。ビックリしました。

私とお母様とで、まずは10kmポイントへとジョグで向かいました。A選手は、ほぼサブスリーペースで10kmポイントを通過していきました。この10kmポイントで待機している間に、顔見知りの選手が大勢通過していきましたね~。首都圏から大勢の選手が来られている印象です。(^o^)

一番驚いたのは高橋選手の最も信頼できるサポートメンバーである、Nさんが走っていたことです。先方も驚きましたが私も驚き、少し一緒に並走しながら久しぶりの会話を楽しみました。(^o^)

その後私とお母様とは、それぞれのポジションに向かって別れていきました。私は25kmポイントに移動し、ジョグをしながら待機していましたが、トップ通過の宣伝と共に、(株)モンテローザのM選手が凄いスピードで、単独トップで走り去っていきました。驚く事に二番目以降の選手がなかなか来ませんでした。二番目以降の選手とはブッチギリの差をつけていましたね~。

やがてA選手が走ってきました。25km通過タイムはギリギリサブスリーといったところです。後半の落ち込みがあるので、サブスリー達成が危惧されましたが、とにかくあらゆる方法を駆使して目標達成&サポートしようと、一緒に走り始めました。

30kmから35kmの間が一番苦しかったですかね。彼は残念なことに一度歩いてしまいました。私は元気を出して頑張ろうと励まし、200mぐらい歩いてから再び走り始めました。

40kmからは再びペースがあがり、何人か抜いて軽快にゴールに向かいました。残念ながらゴールタイムは3時間2分26秒でした。でも最近にないタイムを出せたと言うことで、まずまずの結果となり、Aさんも満足げな表情をしていました。(^o^)

Aさんのお父さんもフルマラソンを走りましたが、驚くことに自己記録を更新したそうです。凄い。(^o^) お父さんは初めて3時間50分を切ったと心から喜んでおられました。(^o^)

お母様は今回走りませんでしたが、勿論ランナーですので、あちこちの大会にAさんと共に参加して走るそうです。ランナー家族と共に私も紅葉真っ盛りの河口湖畔で、秋の楽しいランニングを楽しませて頂きました。有り難うございました。(^o^)

写真
河口湖日刊スポーツマラソンの写真

御家族の皆さんと、ゴール後紅葉真っ盛りの河口湖畔でハイパチリ。Aさんはサブスリー達成を逃しましたが、お父さんは自己記録を更新し3時間40分台の自己ベスト更新となりました。おめでとうございます。(^o^)

第61回葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会
開催 11月23日(祝日)
場所 葛飾区、木根川橋広場
主催 主催:葛飾区、葛飾区教育委員会、葛飾区体育協会
共催:葛飾区陸上競技協会
天候 曇り時々晴れ
結果 駅伝(5区間) 第1区 中澤修平 1:41:39(公式)一般の部(区外) 25位
記事

自走   伴走   応援

第1区の走者として参加しました。

今年の大会ではBグループながら1区を走ることになり、いつもよりプレッシャーがありました。でもスタートしてしまえば、プレッシャーがあってもなくても同じ。全力で走りきるだけです!!。

11月は散々な月でした。風邪を引いてしまいましたが結局治るのに3週間という期間を要してしまいました。これほど長く風邪が治らなかったのは、初めての経験でしたが、加齢と共に、より慎重に風邪と向き合わなければなりませんね。

というわけで、入りはゆっくりめに入りました。とはいいましても、ラップを見ると3分33秒だったので、慌てて少しペースを落としました。結局18分44秒でタスキを2走に渡しました。

昨年が18分38秒でしたから6秒ほど昨年よりも遅いだけだったので、風邪を引いた後にしてはまずまずだったかなと安堵しました。

チームとしては、全員頑張って25位に入りました。大会としては、一般の部(区内・区外)合わせて105チームでの競技となりました。今回は神宮ACとして男子が3チーム、女子が1チームで参戦しました。

結果は、4位、25位、37位で、Aチームは三位入賞を逃しましたが、昨年よりも三位順位を上げたことから、来年こそは三位入賞を目指して頑張ってもらいたいですね。女子は文句なしの圧倒的な走りで優勝しました。おめでとうございます。(^o^)

写真
葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

私からタスキをつなぎ2区を力走したU選手です。国立競技場でいつも黙々と走り続けてトレーニングしている姿が印象的な選手です。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

Aチーム3区を力走するF選手です。Fさんは神宮ACが参加する駅伝大会にはほとんど参加するという積極性が素晴らしいですよね。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

2区を力走するSさんです。河原駅伝に続きこの大会でも頑張って見事な走りを見せてくれました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

我がチームの3区を力走するSさんです。Sさんも河原駅伝に続いてこの大会で元気に走りました。

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

3区を力走するNさんです。神宮ACのベテラン選手でいつも全力で走っています。

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

Aチーム4区を力走するTさんです。神宮ACの若きエースの一人です。頑張れ!!。

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

4区を力走するKさんです。神宮ACのベテラン選手でいつもニコニコ顔で元気に走っています。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

Aチームアンカーを任された神宮ACのホープSさんです。ラスト50m地点ですが、もの凄いスパートをかけゴールに飛び込んでいきました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

我がチームのアンカーとして頑張ったUさんです。往路も復路も真剣な顔をして飛ばしていきました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

アンカーを任されたKさんです。カメラを向けたら余裕の笑顔を見せながら軽快に飛ばしていきました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

女子の部を断トツ1位で快走するFさんです。見ていて気持ちよいほどの軽快さで走り去っていきましたね~。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

女子2区を力走するSさんです。Sさんは今伸び盛りの選手です。これからもグングンと走力を上げていきそうですね。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

女子3区を力走するIさんです。駅伝が大好きと言うことで、チームのメンバーとしていつも頑張って走っています。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

女子4区を力走するTさんです。一週間前東京国際女子マラソンを3時間10分台で走っているのに、疲れを見せず今日もまた頑張って走りきりました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

女子アンカーを任されたKさんです。ストライドの大きさにビックリです。神宮ACのエースであり、その名に能わず圧倒的なスピードでゴールに飛び込んでいきました。(^o^)

葛飾区区民ふれあい駅伝競走大会の写真

入賞も果たし喜びに沸く神宮ACメンバーの皆さんです。さあ汗を流した後のお楽しみの時間ですよ!。美酒に酔いましょう~~。(^o^)

第68回奥多摩渓谷駅伝大会
開催日 12月03日(日曜日)
開催 青梅市、奥多摩渓谷
場所 主催:青梅市・青梅教育委員会・青梅市陸上競技協会
主管:青梅市陸上競技協会
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝(6区間)第3走 中澤修平 2:57:19(公認)一般の部 34位
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私は、アトミクラブ「ひかり」チームの第3走として走りました。

気象状況はピリッと肌寒いレベルでしたから駅伝には最適です。立っているだけだと寒いのですが、ウォーミングアップをしていると少し汗ばんでくるほどで、緊張感と共に体の方も闘争心が沸き上がってきました。(^o^)

大学チームが多くトップ争いはかなりハイレベルな駅伝競走大会といった雰囲気の中レース進んでいきました。順位が進につれて、大学チームにまざり市民マラソンチームも少しずつ入ってきて、いよいよ私の出番も近いと感じてきました。

2走はS選手ですが、ついに視界に見えてきました。やがてタスキを受け取り走り始めました。最初はあれほどアップをしたのに、寒さ故か体が硬くなっているのを感じました。100mも走らないうちに後続の2選手に抜かれてしまい焦りましたが、踏ん張って走っていたら少しずつ体も軽快に動いてくるようになり、後半は快調に飛ばすことが出来ました。

結局12人抜いてゴール!。チームは34位に入りました。 個人的には3区[6.5km] 25分54秒(41位)の記録でした。

私が走った第3区は上り坂も多く厳しい走りとなりましたが、予想したよりも早く中継所が現れてしまい、若干不完全燃焼な走りとなってしまったのが、少し惜しかったですね。来年も3区を走るようなことがあれば、最後はバッチリ決めて走りますよ。参加選手の皆様、お疲れ様でした。(^o^)

平成17年度忘年親睦駅伝大会
開催 12月17日(日曜日)
場所 東京都中央区、皇居周回コース
主催/th> 主催:東京走友連合
天候 晴れ時々曇り
結果 駅伝(4区間) 中澤修平 1:14:54(公式)壮年の部 3位入賞
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「壮年の部」2区の走者として頑張りました。

神宮ACからは、なんと10チームが参加しました。第一走のSさんは一般の部の選手も混ざっているなかで、かなり早い段階で視界に現れました。私は一人たりとも順位を落としてはならないと自分に言い聞かせて、タスキを受け取り走り始めました。

最初は体もなかなか言うことを聞いてくれず前に進めませんでしたが、1kmを過ぎると軽快に走れるようになり、最終的に13人抜いてゴール出来ました。区間2位でタイムは18分26秒と、ほぼ実力通りのタイムで走る事が出来ました。(^o^)

チームとしては、「壮年の部」3位に入賞となりました。神宮ACチームとしては、他に「一般の部」3位、「女子の部」でも3位入賞を果たすことが出来ました。この大会は「壮年の部」も設けられ、何歳になっても駅伝競走大会を楽しめるのが嬉しいですよね。参加選手の皆様、お疲れ様でした。(^o^)

写真
忘年駅伝の写真

年に一度の一大イベントである忘年駅伝に、多くの神宮ACメンバーが参集しました。参加選手の力走により、3チームが見事入賞を果たしご機嫌でしたよ。おめでとうございます。(^o^)

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