ロンドンパラリンピックフルマラソン競技の様子

Athens 2004 Paralympic Games
マラソン観戦記

日本選手団結団式・壮行会

アテネ2004パラリンピック観戦記

 

9月10日 日本選手団結団式・壮行会

日本選手団結団式・壮行会

2004年9月10日(金曜日)羽田空港で19時30分から「2004アテネパラリンピック競技大会日本選手団結団式及び壮行会」 が執り行われました。

大ホールの椅子席に着席した選手163人、役員・コーチ104人の計267人はまず国歌斉唱をしたあと、(財)日本障害者スポーツ協会 会長で日本パラリンピック委員会委員長の北郷勲夫氏が登壇し、選手及び役員に挨拶しました。

続いて坂口厚生労働大臣と衆議院議員の伊藤公介氏が登壇し、それぞれ印象的な言葉を交えて激励の言葉を述べました。

それから派遣される日本選手の紹介を一人一人おこなった後、坂口大臣から旗手を務める松本義和(柔道100kg級)に団旗が手渡 されました。彼はメダルラッシュが期待される柔道の主将として、271人の日本選手団の「顔」抜てきされました。パラリンピック・シドニー大会では100キロ級で銅メダルを獲得しています。

結団式の最後は、パラリンピックに5大会連続出場している、永尾嘉章主将(陸上短距離)による選手宣誓で、結団式を締めく くられました。

結団式を終えてから続けて壮行会も開催されましたが、こちらは私たちのような一般参列者は会場に入る事はできませんでした。ただ時折扉が開かれて、チラッとなかの様子は見えましたよ(^^;)。

小泉首相なども来賓として激励に訪れたようですし、私たちが知っている方としては八代英太衆議院議員や橋本聖子参議院議員もいらっしゃ いました。
立食も兼ねていまして、華やいだ雰囲気の中で壮行会は行われている印象でしたよ(^o^)。


【 結団式 】19:30~20:15
開式通告
国歌斉唱
主催者挨拶: (財)日本障害者スポーツ協会会長 北郷 薫夫
厚生労働大臣挨拶: 厚生労働大臣 坂口 力
来賓挨拶: 衆議院議員 伊藤公介 (パラリンピック推進議員連盟会長)
日本選手団紹介: 選手団総務 吉田瑞子
団旗授与: 旗手 松本義和(柔道100kg級/大阪市)
団長挨拶: 岩坪 勝
選手宣誓: 主将 永尾嘉章(陸上100m・200m・400m/神戸市)
閉式通告

【 壮行会 】20:30~2200
開 会
来賓挨拶: 内閣総理大臣 小泉純一郎
来賓挨拶: アテネ柔道男子100kg超級金メダリスト 鈴木桂治
乾 杯: 衆議院議員 八代英太 (パラリンピック推進議員連盟)
手激励
談・祝電披露
選手決意表明
閉 会

 

派遣選手を激励

私も高橋選手らの見送りと結団式見学のために、4時頃には羽田空港に到着するように、仕事を切り上げ事務所を出発しました。

「選手は3時までに集合するように」というスケジュールでしたから、私が羽田に到着した頃は全員が参集しているという雰囲気 でしたね。

第一には高橋選手を激励しようと訪れたことは申すまでもありませんが、他の顔見知りの選手にもぜひお会いして激励の言葉 をかけるつもりでしたから、誰に何を語りかけるかの言葉は、しっかり準備していましたよ(^o^)。

高橋選手とは日頃から頻繁に会っているので、この日の様子が特別違ったものではありませんでしたが、やはり出発を目前に控え 少しばかり緊張感が漂っていたのも事実です。

メダル獲得有力選手の一員に数えられる高橋選手も、結団式に先立ち記者会見を受けましたが、かなり緊張したようで思い通りの 言葉が話せなかったと本人が語っていました。

まだ人前でコメントする習慣が少ないのですから、高橋選手に限らず上がってしまうのは当然です。
これから場数を踏めばいつでもキッチリした言葉が自然に出てくるようになるでしょう(^o^)。
高橋選手もアテネでメダルを獲得して帰国すれば、その暁にはいやがおうでもコメント上手になるでしょう(笑)。

高橋選手などの送迎を目的として羽田に参集した関係者は日本盲人マラソン協会の取材という立場でSさん、伴走の神原選手の 同級生という方が一人。
伴走メンバーではN見さん、N階堂さん、N井さん、そして高橋選手の奥様でしたね。

うまく仕事をやりくりし都合をつけて参集した私達は、ひとつの思いで共通していました。
それは過重で辛かったトレーニングはもちろんのこと、対応すべきことはすべてやって来たという気持ちを、高橋選手と私達サ ポート陣は共有している事です。

そして何より、大きな故障なしでこの日を迎えることが出来た事自体を私達は心より喜んでいます。

やるべき事はすべてやったという安堵感と、これから戦いの場に乗り込む緊張感と……。
高橋選手ほど強くは感じていませんが、会場に居合わせる私達もその戦いへの緊張の“おこぼれ”をいただいて、何か久しぶり に戦いを控えた戦士のように、気持ちが“稟”として来ましたよ~(笑)。

結団式までの時間はまだたっぷりあったので、皆で軽く食事をしながら会話を楽しむ時間も持てました。

私はパラリンピックシドニー大会の時には、保科選手の応援団でオーストラリアに渡った関係で、保科選手ともかなり会話する 時間を作りました。

保科選手はシドニー大会へ参加した経験がありますので二度目という強みでしょうか、全く落ち着いていますし高橋選手などの 若き挑戦者に心配り出来る余裕すら持っていましたね。

彼は本番のレースに向けて、6月度の走行距離が何と1,110kmに達しましたと私にメールをくれました。
パラリンピックシドニー大会前にも、7月に1,000kmを越えましたが、この驚くべき月間走行距離はその時の距離を上回っ たと言います。

この桁違いの走行距離こそが、彼がどれほどの思いでアテネに向き合っているかを表していますよね。
私も今年の春、保科選手のアテネに向けてのトレーニングの一翼を担い一緒に、アップダウンの激しい長野の山々を走りました が、故障もせずここ数ヶ月満足すべき走行距離を走りまくった自信からか、この場での彼の語り口はご自宅にいる時とほとんど 変わらないほど平然としていました。

福留選手もパラリンピックシドニー大会に続き二度目の参加です。
彼もいつもの事ですが謙遜の意味で調子が良くない旨の言葉をいつも連発しますが、やはりシドニー大会の経験を生かして有利に レースを展開しようと努めてきたようです。

福留選手は、私たち素人と違って実業団レベルのランニングノウハウを持っていますから、時折メールでトレーニングのやり方な どを教えて頂きました。
そんな事もあり、彼にはアテネでぜひ頑張って走り抜いてもらいたいと思います。

福原選手も高橋選手と同じで初参加ですね。
彼はアテネで伴走する安田選手と一年以上も前からアテネ本番を目指して、週末は激しいトレーニングを自らに科して頑張って きた事は多くのランナーが知るところです。

福原選手は当然として、安田選手もかなり自分の時間を犠牲にして、福原選手を今日までサポートして来たものと思われます。
安田選手の家族サービスをも犠牲にしての、長く共にトレーニングに励んできた行為は高く評価されるべきと考えます。

福原選手のこの一年以上に及ぶ長い長い己との戦いの継続は、かなりの決意が無ければ継続は不可能と思えるほど過酷なもの であったと推測されますが、ただひとつ残念だったのはこの日福原選手の顔を拝見させていただき、言葉を交わした限り彼は 少し疲れているなと感じました。

彼の最初のエントリー種目である10000mは、一週間後に迫っていますので、うまく調整して体調を合わせることを祈り たいですね。

また、アテネでのフルマラソンは26日ですから、疲れを抜くには申し分ない期間があると思われますので、うまく波を合わせて 疲労を抜き、本番では今までの思いの丈をぶつけて戦い抜いてもらいたいと思いますね。
“完全燃焼”こそ彼の本願としているものですからね。

車椅子選手である廣道選手とも話をする機会を持てました。
彼はなんと6種目にエントリーしており、本番でのレース前調整が大変だなと思われますが、この日もいつもながらの元気な表情が印象的 でした。

彼は10社以上のスポンサーが名を連ねる、プロの障害者アスリートなんですよ(^o^)。
欧米などではプロの障害者アスリートは結構居るようですが、日本では本当に指折り数える程しか居ませんね。

障害者アスリートがプロとしてやっていくのはかなり厳しいものがあると思いますが、彼はプロの世界に身を置き自らの競技力 を以て生活の糧としているプロアスリートですので、競技レベル=生活レベルですから(^^;)、一定の決意と覚悟を以てアテネ に臨んでいるものと思われます。

パラリンピックシドニー大会の競技経験を生かし、アテネ以降の生活が保障されるような、見事な戦績を残してもらいたいですね(^_^)v。

私もそれほど多くの選手と面識があるわけではありませんが、会いたいと思っていた選手には全て会って会話出来たので嬉しかっ たですね。
やり繰りつけて、激励に訪れて本当に良かったと思いました(^o^)。

アテネに向けて日本選手団が羽田を離陸するのは真夜中になるとの事で、夜10時頃には私も高橋選手などと最後の激励の言葉 を交わしたりして、また日本選手団の活躍を祈りながら羽田を後にして帰路につきました。

 

「私から高橋選手への最後のメール文」

高橋選手は、他の誰よりも多く坂道トレーニングを重ねてまいりました。
そして可能な限りのやるべき事は、全てやりましたね。
自信を持ってアテネに乗り込んで下さい。

今日まで競合する他の日本選手については、手強いライバルとして捉えてまいりましたが、飛行機が羽田を飛び立ち、車輪が滑走路から離れた瞬間からは、気持ちを瞬時に百八十度切り替える必要があります。

すなわちこれまでの「手強いライバル」という言葉を捨て、「日本選手の仲間という連帯感の共有」に切り替えるのです。これ以降は他の日本選手と共に力を合わせ励まし合って、世界を相手に戦い抜いて下さい。

伴走の中田選手、神原選手と共に、輝かしい栄光を手に出来ますことをお祈り致します。

 

日本選手団アテネ到着

日本選手団も11日午前11時過ぎ(日本時間同日午後5時過ぎ)にはアテネのエレフテリオス・ベニゼロス国際空港に到着した もようです。

日本選手団が乗った飛行機で、途中ちょっとしたアクシデントが発生したもようです。
飛行の途中で、信じられない話ですが航空燃料が足りなくなったようで、給油のためロシアのモスクワ国際空港に立ち寄ったと いうのです。

ちょっとしたハプニングとっ言った出来事でしたが、ともかく無事にアテネに到着して良かったですよね(^o^)。
なるほどなるほど、マラソンも航空機もガス欠は危険ですよね~(笑)。

15時間に及ぶ長旅だったようですから、選手や役員の皆様はさぞ疲れたことでしょう。
幸い皆さん元気な様子で選手村入りし、夕刻には入村式が行われた模様ですよ。

 

ところで高橋選手は、一年ぐらい前から『チームu1』というグループ名でメーリングリストを開設していて、伴走者やサポートメンバー及び関係者 と、アテネに向けての情報交換を活発に行ってまいりました。
(u1は、彼の名前である勇市と引っかけています)

高橋選手は、エレフテリオス・ベニゼロス国際空港に到着した直後から、その『チームu1』メーリングリストに活発に投稿して きました。

国際空港に到着したときには、“到着時の気温は、22度です。少し、肌寒い感じです。これからは、アテネ時間で書 き込みします(^o^)。”などと報告してくれました。

パラリンピックアテネ大会の開会式が一週間後の17日、10000mは19日、フルマラソンは26日などなど……。
視覚障害の高橋選手をはじめ、保科選手、福留選手、福原選手らマラソン出場組や、その他多くの日本選手の活躍に期待したい ですね。 勝負は時の運もありますからね。結果はともかくとして、最高のパフォーマンスが発揮できることを祈っていますよ~(^o^)。

「アテネパラリンピック17日開幕 聖地に最多163人、躍進ニッポン再び」

【読売新聞】平成16年9月11日

障害者スポーツ大会の最高峰「パラリンピック」が五輪発祥の地アテネで、現地時間の17日夜(日本時間18日未明)、開幕 する。
今回は、史上最多となる145の国と地域から約4000人の選手が集まり、18日から28日までの11日間にわたって、白 熱した戦いを繰り広げる。

日本からは、過去最多の163人の選手と、伴走者やコーチら108人の計271人が参加。アテネ五輪同様のメダルラッシュ が期待されている。

◆ゴールドラッシュ再現だ 予想は“24金”
日本勢はアテネでいくつの金メダルを獲得するのだろうか。日本パラリンピック委員会(JPC)は、日本選手団の成績予想を 発表している。
それによると、公開競技を除くメダル獲得数は金が24個、銀が15個、銅が22個。金メダル数は、前回シドニー大会の13 個を上回り、ソウル大会の16個をもしのぐ過去最高の成果が期待されている。

9個の金メダルが予想されている陸上。マラソン全盲クラスで高橋勇市(39)が今年4月、今季世界最高の2時間37分43秒 を出している。高橋は「坂道対策も十分行っている」と自信を見せる。

アテネ五輪での公開競技に出場した安岡チョーク(31)も四百メートル走で金有力。
五輪では他選手のゼッケンが車いすに絡まるトラブルで不本意な結果に終わったが、「本番」で雪辱を誓う。

円盤投げの大井利江(56)は今年5月、世界新記録を出した。漁師として鍛えた腕力で世界の頂点を目指す。

シドニーで9個の金メダルを量産した競泳は、今回8個の予想。日本代表競泳チームの猪飼聡監督は「ウクライナやベラルーシ など、新興国がリレーで強さを見せており、楽観は出来ない」と説明する。

もっとも、シドニーで一人で6個もの金メダルを取った成田真由美(34)や、バルセロナ大会以来、金4個を含む計14個の メダルを獲得している河合純一(29)は、今回も健在だ。

自転車では、シドニーで1キロタイムトライアルの世界新記録を出した視覚障害者タンデムの葭原(よしはら)滋男(41)が再 び登場。
今回は、前に乗るパイロットを大木卓也(23)に代えて連続の「金」を狙う。同じく大城竜之(32)、丹沢秀樹(25)ペア も、昨年のヨーロッパ選手権で銀メダルを獲得しており、金銀両メダル獲得が期待されている。

アーチェリーでは、平沢奈古(32)が昨年11月、車いすの重度のクラスで世界新記録。アテネでは軽度のクラスと統合される ものの、優位は変わらない。

シドニーでメダルなしだった射撃は、その後の強化策が実を結び、特に女性陣はトップを狙える位置につけている。

車いすテニスは、男女ともダブルスに期待。8月末現在、世界ランク6位の斉田悟司(32)と、同8位の国枝慎吾(20)の ペアは、同じクラブで練習を重ね、息も合う。
シドニーで惜しくもメダルを逃した大前千代子(48)は、新たに八筬(やおさ)美恵(34)とペアを組んだ。

日本のお家芸、柔道は、パラリンピックでは視覚障害者の競技。アテネからは女子も正式種目に加わり、3個の金を含む「全員 メダル獲得」を宣言している。(小島剛)

◆陸上短距離・永尾嘉章41/背中で引っ張る主将
総勢163人の代表選手。主将の大役を担うのは、陸上短距離の永尾嘉章(よしふみ)(41)だ。パラリンピックは5大会連続 出場。以前から「他の車いす選手の精神的支柱になりたい」と話していた。

日本パラリンピック委員会に「主将は永尾」と推薦した陸上の三井利仁監督は「実績、人間性から、彼しかいない」。絶大な信頼 を受け、本人も「光栄なこと」と、喜んで引き受けた。

小児まひで小さいころから両足が不自由だった。小学6年で車いすを使い始め、それまで歩くのも四苦八苦だったのが、すいすい 動けるようになった。
「世の中にこんな楽な物があったんだ」。以来30年、日常生活でも競技でも、車いすは欠かせない相棒となった。

高校卒業後、本格的に競技を始めた。25歳で初出場したソウル大会では、「テンションが高くなった」。遊び歩き、寝不足のま まレースに臨んだ。3種目に出場したが、思うような成績は残せなかった。

「競技場にも、選手村にも独特の空気が流れている」といわれるパラリンピック。雰囲気にのまれてしまった選手の一人だった 永尾は、自戒を込めて言う。
「24時間すべてが競技につながっている。遊ぶのは、競技が終わってから」

選手団の主将といっても、明確な役割があるわけではない。「だからこそ」と永尾は思う。「常にキャプテンって何だ、と見ら れる。まずはおれが、競技に向けて全精力を注ぐこと。成績でも引っ張れれば最高」。三井監督も、そこに期待する。
「体調をピークに持っていく方法を知っている。びびっている初出場選手を支えてほしい」

今回、百メートル、二百メートル、四百メートル、千六百メートルリレーの4種目に出場する。すべて決勝に進めば、7日間で 11回のレースとなるが、「全部がメーン種目」と言い切る。
92年のバルセロナ大会以降、毎回4種目以上に出場しているので不安はない。届きそうで届かなかったメダルも、射程内だ。

生まれも育ちも兵庫という関西人だが、冗舌というより、落ち着いた雰囲気。本人も「言葉で引っ張っていくタイプではない」 と言う。
クールな男が、日本選手団が五輪同様のメダルラッシュを生むよう、背中で、成績で、日本選手団を引っ張る。(臼田雄一)

◆障害の程度に応じ「クラス分け」
パラリンピックの特徴の一つに、障害の重さに応じた「クラス分け」がある。運動機能が同じ程度の選手同士で競うための 工夫だ。

アテネパラリンピックでは、陸上百メートル走が男子で13クラス、女子で9クラスが行われる。競泳も同様で、百メートル自由 形は男子で13、女子で12のクラスが予定されている。
そのすべてに金メダルが与えられる。金メダルの数は、アテネ五輪の301に対して、今大会は515にものぼる見通し。

車いすバスケットボールや車いすラグビーでは、障害の重い選手も出場できるように、障害の重さに応じて選手を点数化し、 コート内でプレーする選手の合計点が一定の点数を超えてはならないというルールがある。

車いすラグビーの場合は、選手は、最も障害の重い0.5点から最も軽い3.5点まで、0.5点刻みに7段階に分けられ、 コートでプレーできる4選手の合計点が8点を超えてはならないとされている。
障害の軽い選手は、ボールを持って敵陣を狙い、障害の重い選手は、相手選手の動きを止める。障害に応じた役割をうまく果た すことが出来るかどうかが、勝敗の鍵を握る。

〈パラリンピック〉
1948年、ロンドン五輪の開会式の日に合わせてイギリスのストーク・マンデビル病院で開かれた車いす選手のアーチェリー 大会が起源のひとつとされる。

五輪と同様の形式をとるようになったのは、60年のローマ五輪に続いて行われた大会から。23か国から400人の選手が参 加し、後に、この大会が第1回大会とされた。

「パラリンピック」という名前が初めて登場したのは、64年、東京五輪に続いて行われた東京大会だった。下半身のまひを意 味する「パラプリージア」と、「オリンピック」を掛け合わせた合成語で、日本のマスコミが使い始めたのが広まったとされる。
日本選手団はこの第2回大会から参加している。

その後、下半身まひ以外の選手も参加するようになったことから、88年のソウル大会から、「平行する」「もう一つの」など の意味の「パラレル」という言葉と五輪を掛け合わせた言葉として、正式に使用された。
2012年からは、五輪開催都市はパラリンピックの開催を義務づけられる。

《日本代表選手》(敬称略、数字は年齢=9月17日現在)
【陸上】 荒井のり子31▽要田美紀41▽大井利江56▽植田政徳48▽高田稔浩39▽畑中和35▽尾崎峰穂40▽土田和歌 子29▽菊池栄里子21▽広道純30▽小谷謙二34▽安岡チョーク31▽加藤有希30▽安陵武文40▽伊藤智也41▽大勢待 茂男35▽笹原広喜30▽副島正純34▽寒川進35▽鈴木徹24▽中島嘉津子32▽二宮尚寛23▽矢野繁樹28▽八重沢康成 39▽斉藤晃司31▽永尾嘉章41▽花岡伸和28▽川島由美24▽高橋勇市39▽福原良英36▽佐藤真海22▽福留史朗47 ▽保科清57▽佐藤京子38

【柔道】 藤本聡29▽宮内栄司31▽加藤裕司26▽広瀬誠27▽赤塚正美33▽松本義和42▽天川敬史30

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