Athens 2004 Paralympic Games
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9月25日 エーゲ海クルージング
ギリシャそしてアテネ!、このキーワードで連想するのはパルテノン神殿とエーゲ海ではないでしょうか(^o^)。
ギリシャ全体では3000余りの島があり、エーゲ海にはその80%におよぶ2000以上の島が点在しているといいます。
エーゲ海の白い宝石と称されるミコノス島、昔から芸術家に愛され夏のシーズンには世界中のバカンス客で賑わいます。
そしてキクラデス諸島の最も南に位置するサントリーニ島や、ギリシャ最大の島でありヨーロッパ最古の文明を育んだクレタ島 などがよく知られていますね。
もちろん、それぞれの島には古くからの歴史があり、しかも個性的な島が他にもたくさんありますね。
エーゲ海クルーズを豪華客船で!
といきたいところですが、アテネパラリンピック応援の隙間を縫っての観光ですから、私達のエーゲ海クルーズは ほんの“さわり”を満喫する程度となりそうです(^^;)。
エーゲ海クルーズの本格的なものは7泊8日のプランで、エーゲ海の有名な島巡りと共に、船内での豪華ショーやカジノなどのエンター テインメントも充実し贅沢な時間を演出してくれるのだそうです。
紺碧の海を見ながらゴージャスな時の流れを感じる……。
と、夢見心地となりながらも、慌てて現実に回帰しまして(笑)。
そうです。私達のクルーズはその豪華船によるものよりかは、少しばかり規模と料金を少なくしたものですが、“滞在日数 は少ない、でもエーゲ海の島々を訪れてみたい”という観光客のために用意されたものでした!
私達が参加したオプショナルツアーは“エーゲ海1日ミニクルーズ”でした(^o^)。
朝8時30分にパレオ・ファリオ港を大型客船で出発し、サロニコス諸島に属するポロス島とイドラ島、そして最後にエギナ島の三島を巡り、19時00分に 再びパレオ・ファリオ港に帰って来るというクルーズです。
朝7時過ぎには滞在しているパークホテルを出発し、8時過ぎにバスはパレオ・ファリオ港に到着しました。
乗船する船の前にバスは横付けされましたが、予想以上に大型船なのに感激(^o^)。
すでに大勢の乗船者が列を成して乗船手続きに入っていました。
私にとっても船旅はほんとうに久しぶりのような気がします。
今まで数少ない船旅を経験していますが、そのほとんどが船酔いをしており今度も苦しみながら一日乗り続けるのかなと、 少し心配ですが、朝食を少なめにしたり乗り物酔いの薬を飲んだりと準備は怠りなく済ましてきましたし、乗船してからも 出来るだけ歩いて椅子には座らないようにするなどの対策で乗り切ろうと考えています。
そんな船酔いの予感が気持ちを少し落ち込ませますが、船旅そのものは嫌いではないので胸はワクワクして乗船を待ちました。
係員に誘導されながら乗船、そしてデッキを進みながら広い客室に入り、私達も空いていた窓際の席を確保しました。
びっくりしたのは、乗船の手続きやこれからの島巡り観光ルートなどを日本語で説明していたことでした。
この日もかなりの日本人観光客が乗船していました。
多分いつも日本人観光客が多いのではないかと推測しました。
理由はどうであれ、日本語による説明は有り難いですよね(^o^)。
聞けば船内を仕切る女性アナウンサーは、なんと日本の熊本県の出身だそうです。
ギリシャ人のご主人に嫁いで何十年と経過しているとの事で、顔はギリシャ人の顔になっていましたし(笑)、日本語も ギリシャなまりが混じって(^^;)、発音が少しおかしかったですね(笑)。
私達は窓辺からエーゲ海を見渡したり、客室乗客の顔ぶれなどをみながら間もなくであろう出航を待ちました。
女性陣は凄いですよ(^o^)。
出航前から何が楽しいのか(^^;)、女性同士同じテーブルを囲み小学校の頃の遠足を楽しんでいるかのように、御菓子などを食べながら楽しく会話をしていました。
その様子は乗船中ほとんど変わらず、楽しそうに船旅を楽しんでいましたよ(^o^)。
女性陣は出航前から御菓子を食べたり、おしゃべりをしたりと楽しそうでしたよ。(^o^)
船も無事出航し、波を切って前進を開始しました。楽しいクルーズの出発です!。
私もさっそく他のメンバーと共に船内を見学しようと、ほぼ快晴の眩しいくらいの太陽光線が降り注ぐデッキに出たりして、 エーゲ海の潮風を肌で感じたり遠景を楽しみました。
しばらく外の風景を満喫しまして室内に戻り、通りすがりの日本人観光客に目をやったらビックリしました。
なんと高橋選手と同じ視覚障害者T11クラスでフルマラソンを走る保科清選手の応援団も同じ船に乗船しているではありま せんか(^o^)。
思えば、私は4年前のパラリンピックシドニー大会の時には、この保科選手の応援団と行動を共にしていました。
今回は都合により高橋選手の応援ツアーでアテネに参りましたが、保科選手のアテネに向けてのトレーニングで何度か長野の ご自宅にお訪ねしていますし、こちらに来る前はアテネのフルマラソンコースなどの情報を煩雑に保科家に提供して参りました。
私の方が先に気付いたので、さっそく保科選手の奥様に声をかけさせて頂きました。
奥様も“まさかここで会うなんて”という雰囲気でビックリしていました(^o^)。
保科選手の応援ツアーメンバーには御家族・ご親族の他に、保科選手を伴走する沖山選手の奥様や、ウルトラマラソン界では トップアスリートとして有名な関家選手も同行していました。
沖山選手の奥様は、顔がかなり日焼けしておりこの夏にずいぶんと走り込んでいたというのを実感出来ます。
彼女はアテネ応援を終えたらそのままギリシャに滞在し、数日後に行われるアテネスパルタスロン大会に参加する予定なのです。
ちなみに私達の応援ツアーメンバーの中にも、そのアテネスパルタスロン大会に参加する選手が一人いるんですよ(^o^)。Nさんがその人です。
YさんとI さん、旅慣れたお二人は終始リラックスしていました。お二人には応援ツアーを企画する段階で、ずいぶんとお世話になりました。有り難うございました。(^o^)
高橋選手のお父さんと、最も長くアテネに滞在することとなるNさんです。お父さんは農繁期にもかかわらず、うまくやり繰りつけて応援に参りました。Nさんは情報収集の為、すでにアテネマラソンコースを二度試走しているんですよ。(^o^)
◆ 保科選手の応援団の皆さん ◆
右側から二人目が保科選手の奥様で、一番右が息子さんです。パラリンピックシドニー大会と同じように大応援団でやって参りましたね。(^o^)
◆ 保科選手の応援団の皆さん ◆
ウルトラで有名なSさんや、保科選手の伴走をする沖山選手の奥様も一緒でした。頼りになる心強いメンバーが大勢いらっしゃいましたね。(^o^)
私達の応援ツアーメンバーのNさんも保科さんの御家族と面識があるので、この席に来て皆さんと話を交わしました。
Nさんは私達の中で唯一フルマラソンコースを試走している事もありまして、明日に迫っているフルマラソンの応援場所を何処に するかなどという件に話の中心が移っていきました。
応援する場所やパナシナイコ競技場への移動などについて、私達のグループのほうがかなり情報を持っていることもありまして、 出来る限りの情報を提供し応援に役立てて頂く事にしました。
保科さんグループは、私達が去った後もかなり時間をかけて船内で応援の作戦会議を続けたようです。
楽しみにしていたエーゲ海クルージング。白い波しぶきを立てながら、最初の寄港地ポロス島を目指します。
【写真提供HOSHIさん】
丘の上のパノラマが素晴らしいポロス島
パレオ・ファリオ港を出港してから2時間ほど経過してだでしょうか、最初に上陸するポロス島が眼前にグングンと迫って まいりました。
ペロポネソス半島に寄り添うようにある小さな島で、半島との距離はわずか400メートルしかないとの事。
ポロス島の名は「狭い通り道」を意味するギリシャ語ポロスに由来し、島は二つの島から構成されています。
私達が船寄せしたポロス・タウンのある半島よりの小さい島がスフェリア島で、その背後にある大きい島はカラヴリア島と 呼ぶそうです。
二つの島は橋で結ばれていて、カラヴリア島の方がピィギィー修道院やポセイドン神殿跡など見所も多いのですが、私達の ツアーでは滞在時間の関係でポロス・タウン周辺の観光のみとなるようです。
土産屋やタベルナが軒を連ねるフェリー発着場に船は到着しました。
出航時刻などを日本語で教えてくれるので、安心して船を離れることが出来ました。
街並みや遠くに見える家々の様子は、いつか写真などで見たエーゲ海の風景と重なります(^o^)。
特にオレンジ色の屋根瓦と白い壁の家々が連なっているのが印象的ですね。
私達は下船後、丘の上にある時計塔を目指して土産物屋が軒を連ねる狭い階段を上り始めました。
ギリシャの旅は、名所旧跡が丘の上や高いところにあることが多く、脚が丈夫でないとギリシャ観光は楽しめないようです(^^;)。
10分ほど風景を楽しみながら階段を登っていくと、もう丘の上に到着しました。
丘の上には時計塔があるだけでしたが、周りを見渡せたのが感激でし。
ペロポネソス半島やカラヴリア島など素晴らしいパノラマで見渡せました(^o^)。
フェリー発着場に到着し、船のデッキからポロス・タウンの街並みを見渡しました。
ポロス・タウンの街並みが続きます 右側の植物はイチジクです結構見かけましたね。
丘の上にて撮影 HさんもTさんも笑顔が素敵ですね。(^o^)
丘の上は素晴らしいパノラマでした 時計塔の横で記念撮影です。
◆ 保科選手の応援団の皆さん ◆
保科選手の奥様とお友達です。丘の上にて撮影しましたが、奥様は海辺が大好きのようですよ。
【写真提供SEKIさん】
最初に寄港したポロス・タウンを離れ、船は二つめの訪問地イドラ島を目指して針路をとりました。
イドラ島までの所要時間は約1時間ですが、船内では昼食を食べたりショーを見ながら島へ到着するまでの時間を楽しむ ようです。
私達は食事をする大広間に誘導され、ワインで乾杯してギリシャ料理に舌鼓をうちました。
船内ではすでに航行に合わせてギリシャの伝統的な衣装に身を包んだダンサーによりダンスや音楽舞踊が賑やかに進行して いました。
お客様をステージに強制的に(^^;)上がっていただき、にわか作りのショーメンバーに仕立て、まさに即興のように楽しく ダンスなどを躍りながら観客と一緒になって楽しみました。
楽しい一時を船内で過ごしていると、早いものでイドラ島に到着する旨の船内放送がありました。
紺碧の海が目の前にあるイドラ島
デッキに出てみると、緑は少なく荒々しい岩肌をむき出しにした島が見えてきました。
船はイドラ・タウンに接岸しました。港は円形劇場のように円形となっており、天然の小さな湾がそのまま港になっています。
そしてウオーターフロントから山の斜面にかけてオレンジ色の屋根と白い外壁の家々が立ち並んでいて、岩山の荒々しさと は対照的に街並みは優雅さと華やかさを感じさせました。
それもそのはず、この島は水が乏しく農業に向かない島であったので、イドラの人々は船乗りや商人、そして船造りなどの分野 に進出していったそうです。
18世紀から19世紀にかけて、イドラの船主達は東地中海貿易を独占して巨万の富を得たようです。
町の西側に広がる風車の丘に立ち並ぶ大邸宅は、イタリア建築様式に影響を受けた豪華な家が並び、独特の雰囲気を醸し出して います。
これら家々は商船の館と呼ばれており当時の繁栄を今に伝えています。
イドラ・タウンの港から見る印象が気に入って、多くの芸術家が集まる島としても有名だそうです。
イドラ島は自動車やオートバイの乗り入れを禁止している島なんですね。
ですから徒歩にするかロバが唯一の交通手段だそうですよ(^^;)。
生活は大変かもしれませんが、そうであるが故にこの島はどことなく落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
ロバは船が接岸した港のすぐ先に、たくさん繋がれていてお客様の利用を待っていました。
可笑しかったのは、このロバは『ロバタクシー』と呼ぶのだそうです(^o^)。
タクシーと言えば、船で希望する場所に運んでくれる『ボートタクシー』というのもあるそうです。
イドラ・タウンでの観光は船が居並ぶ港の岸辺をぐるりとお土産屋さんやタベルナ、そしてカフェなどのお店が続いています ので、それらを見ながら散策します。
ゆっくりとお店などをのぞき込みながら足を進め、湾の外れの突端あたりになるのでしょうか、少し高台になっている場所に 遠い昔海賊などから港を守っていたと思われる砲台が設置されているのが目に入ってきました。
ここからの眺望も素晴らしかったですね。眼前に広がる紺碧の海はいかにもエーゲ海といった雰囲気で果てしなく広がっていました。
下を見下ろすと多くの人々が海水浴をしていました。岩場を利用した海水浴場でした。
そして驚いたことに、私達の応援メンバーの一人が泳いでいるではありませんか(^o^)。
その人は、伴走をする予定の神原選手のお母様でした。
聞けばエーゲ海で必ず泳いでみたいとの思いがあったそうで、実際現地に水着を持ってきたそうです。
滞在時間も比較的タップリとあったので、ずいぶんと長く海水に浸かっていました。
彼女はエーゲ海で泳ぐことが出来て嬉しかったみたいです。思いが叶ってよかったですね。
それから大した話題ではありませんが、このイドラ・タウンにはたくさんの猫を見かけました。野良猫ではないようですが、 お店の軒先などでのんびりと観光客を眺めている姿が印象的でした。
紺碧のエーゲ海と静かで牧歌的な雰囲気の漂うイドラ・タウンです。
私達の乗ってきたフェリーが接岸する港から見たイドラ・タウンの街並みです。
港には多くの船が係留されていて、中には豪華なヨットもたくさん係留されていました。
港には多くの船が係留されていましたし、山の斜面には豪奢な家々が並んでいます。
自動車などは乗り入れ禁止なので、交通手段は徒歩か『ロバタクシー』だそうですよ。
港のすぐ横まで『タベルナ』のテーブルが連なり楽しそうな雰囲気を醸し出しています。
神原選手のお母様と高橋選手の叔父さんのSさんです。
叔父さんも高橋選手を力一杯応援しようと、アテネ行きを心待ちにしていたといいます。
Yさんと高橋選手のお姉さんです。潮風をあびて気持ちよさそうですね。恋人同士に見えるかな~~。(*^_^*)
神原選手のお母様はエーゲ海で泳いでしまいました。エーゲ海で泳ぎたいと水着を荷物のなかに入れてきたのだそうですよ~!。願いがかない気持ちよさそうですね。(^o^)
◆ 保科選手の応援団の皆さん ◆
保科選手の応援団の皆さんも、楽しそうに記念撮影をしていました。(^o^)
のんびりとくつろぐ猫をたくさんみかけました 平和な島なのですね。(^o^)
外壁の白色は“平和”を、ドアなどの青色は“エーゲ海”を表しているのだそうです。この配色は条例で定められているそうですが、守らない建物も多いとか。
強大なポリスとして栄えたエギナ島
二つめの訪問地イドラ島を船は出航し、船は最後の訪問地エギナ島へ向け針路をとりました。
船内では相変わらず、お客様をとり込んでの賑やかなショーが続けられていまして笑いが絶えないほど私達を楽しませてくれま した。
船内ではお客様を交えての楽しいショーが続けられていました。ギリシャの民族衣装を身につけた男性と、船内客の女性が楽しいショーを展開!。
【写真提供SEKIさん】
1時間ほど経過した頃でしょうか船内放送があり、最後の訪問地エギナ島に接岸する旨の放送が入りました。
ここエギナ島は、古代にあっては強大なポリスとして栄え、1827年にイオアニス・カポディストリアスが初代大統領に 就任し、ここエギナ島に近代ギリシャの最初の首都がエギナ・タウンに置かれたいう歴史があります。
ピレウスから約30キロほどのところにあるエギナ島は、サロニコス諸島のなかでも最もアテネに近いようです。
その戦略的な位置に加えて天然の良港があったため、昔から貿易が盛んでキクラデス文明やミノア文明などの先史時代を 通じてポリス成立後もここが政治と信仰の中心地であったようです。
フェリーが接岸するエギナ・タウンは多くの観光客が行き交い賑やかでした。
エギナ島はかなり大きな島で観光地も分散しているようで、追加オプションですがバスを利用して観光するようです。
私達は大型バスに乗り込み、12キロ先の丘の上にあるアフェア神殿を目指して出発しました。
驚いたことにバスガイドはフェリーでもアナウンサーとして船内を仕切っていた、あの熊本出身のおばさんでした。
“まあ商売熱心なこと”と苦笑してしまいましたが、ある意味日本人ガイドがついたのと同じですからね。
苦笑しながらも私達日本人は安心出来ますし、日本語ガイドに期待することにしました(^o^)。
バスには30分以上乗っていましたね、長かった割にはズーと熊本出身のおばさんがいろんな話をしてくれたので、飽きずに 楽しいバスの旅となりました。
バスは松林の中の坂道を丘の上を目指して登っていきます。
少しずつ眺望は開けていき、遠くにはスニオン岬を望み、眼下にはサロニコス湾が広がり長めが雄大になって参りました。
ほどなくしてバスはアフェア神殿下の駐車場に到着したようです。
アフェア神殿はサロニコス湾では最大の古代遺跡であり、この遺跡は往時のエギナの経済がいかに繁栄していたかの証でも あります。
アフェア神殿は紀元前七世紀末から造営が始まったといわれ、私達が目にするのは紀元前480年ごろに建てられた神殿です。
アテネのパルテノン神殿よりも50年も早く建造されたという事になります。
アフェア神殿はドーリア式の列柱を持つ堂々とした神殿で、古代神殿群では最高傑作だとされています。
実際見てみると保存状態も良くて、残っている列柱や梁も多いです。
柱は大理石ではなく地元で採れる石灰岩を使い、その上に化粧漆喰を塗って大理石のように見せていたと言われています。
この神殿は古くから知恵の神アテナが祀られていると考えられてきましたが、二十世紀になってからは碑文も新たに発見され た事もあり、土着の女神アフェアを祀っているというのが定説になっています。
地中海気候らしい雰囲気の中をバスは走ります。ピスタチオの木が多く植えられていて特産品になっているそうですよ。
【写真提供Yさん】
ドーリア式の列柱を持つ堂々とした神殿で古代神殿群では最高傑作だとされています。
私達はアテネに来て初めて神殿を目の当たりにしました。皆さんで記念撮影をしましたよ。
アテネパラリンピックで銅メダルを獲得した選手が一人で観光に来ていました。私達は身振り手振りで祝福の気持ちを伝えました。(^o^)
アフェア神殿に向かうバスの中で、“熊本のおばさん”が(^^;)しきりにエギナ島の特産であるピスタチオが入っているアイスクリーム はとても美味しいですよ~~。アフェア神殿駐車場横のお店で売っているので食べてみて下さいと20回は繰り返しましたね(笑)。
きっとそのお店もフェリー会社の系列なのだなと思いながらも(^^;)、私達は完全に洗脳されてしまいほとんどの人が、その ピスタチオアイスクリームを口にしない事には、エギナ島に来たことにはならないのではないかと思えるほどになっていました(^^;)、ちょうどお腹もすいていましたしね(笑)。
日本の観光地でもよく見かけるご当地の特産品で作られたアイスクリームというだけの話なのですが、適度な甘さで疲れた身体 には心地よい甘さと食感でした。もう一個食べようかなと思いましたね
バスはふたたびエギナ・タウンに戻るべく走り出しました。
アイスクリームを食べて心なしか身体が元気を取り戻してきたような気がします。
帰路の途上にあるアギオス・ネクタリオス修道院にバスは到着しました。
アフェア神殿と共にエギナ島の観光名所のようです。
駐車場から見上げる修道院はとても巨大で歴史を感じさせる修道院でした。
ネクタリオス大主教が祀られています。ネクタリオス大主教は1920年に亡くなられた大僧正だそうです。
大きな修道院内には彼の遺蹟があり、今でも多くの巡礼者が訪れるそうですよ。
内壁には巨大な宗教画などがたくさん掲示されていました。天井にも素晴らしい宗教画が描かれていると聞いていましたが、 残念ながら工事中により全く見ることは出来ませんでした。
修道院というものがどのような役割をしているのか今ひとつ理解し得ない私ですが、その宗教的雰囲気はよく理解出来ました ので、何となく心も洗われたような気がしました。錯覚かもしれませんが(^^;)。
修道院で心が洗われたのかな 皆さんさわやかな表情をしていますね。(^o^)
庭には比較的緑が多かったです。咲き誇るブーゲンビレアが印象的でした。
アギオス・ネクタリオス修道院を見学した後バスに乗り込み、フェリー発着場のエギナ・タウンに向けてバスは出発しました。
往路と同じように相変わらず“熊本のおばさん”は、快活にそして自信を持って(笑)バスガイドよろしくいろんなエピソード を語ってくれました。
話しぶりからしても相当長くガイドをしている印象でしたよ(^o^)。
私達も含めて日本人観光客がかなり多かったので嬉しかったのかもしれませんね。
エギナ・タウンに到着しましたが、本来ならここでお土産屋さんなどに寄って買い物タイムがあるはずですが、どうやら途中で 余分に時間を使ってしまったみたいで、すぐにフェリーに乗り込まないと出発に遅れてしまうようです。
という訳で、エギナ・タウンでの買い物は無しという尻切れトンボで最後の訪問地エギナ島を後にしました。
私達を乗せたフェリーは定刻の18時00分に出航しました。
約1時間ほどで出航した港「パレオ・ファリオ港」に帰着する事になります。
私達は、タラップを上り乗船してから客室大広間の一角に集まって、明日のフルマラソン応援態勢の相談をする事になりました。
私はとても驚きました。
この時まで明日のフルマラソン応援態勢を、船上で話し合おうという合意はまったくありません でした。
しかし、メンバーの気持ちはひとつだったのですね(^o^)。
三島の観光を無事に終え、後はアテネ市内に帰るのみとなったこの段階で、メンバーの頭の中は同じ思いで一致していました。
誰かがリーダーシップを発揮して参集させたというのではなく、自然と皆で集まって話し合おうという雰囲気になっていったのです。
幸い大広間には、私たちが円形に向かい合えるスペースの空きがありました(^o^)。
皆が明日の応援についての賑やかな雑談が始まると、コースを二度も試走しているNさんが主導して話し合いが進められるようになりまして、何処でどの様な応援にするか、そしてバス の乗り降りはどのようにするか……。などが熱心に話し合われました。
“作戦会議”は、下船する段階まで続き、万全の応援態勢を構築する事が出来ましたよ(^o^)。
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