ロンドンパラリンピックフルマラソン競技の様子

Athens 2004 Paralympic Games
マラソン観戦記

日本選手団結団式・壮行会

アテネ2004パラリンピック観戦記

 

9月24日 パリ経由アテネ到着、競技観戦

パリ経由アテネへ

どれぐらいの時間が経過したでしょうか…。?
機内のざわめきで目が覚めたら、すでに二度目の食事配膳が始まっていました。
配膳作業の音と共に、賑やかな会話があちこちで行き交っていましたね。

私もすぐに安眠グッズを片づけ、テーブルを設置し配膳を受ける態勢を作り始めました。
寝ている人には配膳が後回しにされてしまうケースがありますからね(^^;)。

食事が配膳され始めたという事は、そう遠くないうちに着陸出来るという意味も含まれますから、エコノミー症候群になりそうな気だる い身体を持てあましながらも、症候群発生を避けられそうな安堵感と(^^;)、“もう降りるのか”というような……。 名残惜しい気持ちにもさせますね。

朝食もすごく豪華でしたね、満足しました(^o^)。
とても機内での食事とは思えない充実したレベルで箸がすすみました。
いやナイフとフォークがすすみましたという表現のほうが正しいですかね(^^;)。
メニューの特徴として乳製品が多かったですね。二度出た食事両方ともそのように感じました。

食事以外の時間は強制的に睡眠をとるようにしていたので、ツアーメンバーとあまり話をする機会がありませんでしたが、食事時 だけは極力話をするように努めました。

メニューの中に水がありまして、おそらく硬水だと思われるので、お腹を壊すしてトレイ通いかと心配しましたが、そのような 事もなくてトイレに行く回数も、どちらかというと少なめでした。

トイレに行く事以外は、意図的にひたすら眠り続けたといってよいでしょう。
時差で夜が非常に長いという事とありますし、“安眠グッズ”のお陰でかなり深い睡眠がとれました。

朝食を終えて一時くつろぐと、飛行機が下降するとのアナウンスがありベルト着用を求めてきました。

間もなく花の都パリか(^^;)!!。
四年に一度ぐらいの頻度でしか海外旅行をしない者にとっては、異国の地に降り立つ喜びが、機体の下降に反比例するように上昇 していきました(^o^)。

パリ郊外にあるシャルルドゴール国際空港には、24日金曜日未明の04時15分に到着しました。
機外に出てもまだ暗くて遠くを俯瞰出来ませんでしたが、案内板などを見る限りとても巨大な空港である事がわかります。
1人単独でこの空港に到着したら、例外なく迷ってしまうなと感じました(^^;)。それほど巨大な空港でした。

今回は添乗員がテキパキと指示を出して誘導してくれるので、後ろをついて行くだけですから楽チンです。
応援ツアー初期の段階では、添乗員不要と判断していましたから、その判断を撤回して添乗員を付けた事が正しかったと安堵しています。

 

アテネの写真

【シャルルドゴール国際空港にて】
13時間20分の長旅の末、無事にシャルルドゴール国際空港に到着!。
疲れもありますが、ヨーロッパに来たという実感が少しずつ湧いてきましたね。(^_^)v
【写真提供Hさん】

『花の都パリ』空港施設も何となくオシャレな印象で、一人感激しながら乗り継ぎの場所へ移動を続けました。
ここシャルルドゴール国際空港は、とにかくとらかく巨大な空港のようです!。
添乗員に誘導してもらわなければ、出口さえ見つけられないかもしれません(^^;)。
本当の話、それくらい広大なエアポートとなっています。

空港に到着し通路をひたすら移動して、最初のパスポートチェックを受ける所に到達しました。
驚いたことにそのパスポートチェックをする人間の尊大な事!

その職員は嫌々ながらチェックをやっているという呆れた雰囲気!
外国からのお客様に対し、こういう応接を絶対に日本ではしてほしくないですね。

空港に降り立ち、初めて接するその国の人間のイメージが、この最初の出来事によりかなり損なわれる可能性があると思われてなりません。
私は心の中で“バアロー”と罵声を浴びせて通り過ぎましたよ~(笑)。

このシャルルドゴール国際空港は中継地であり、再度飛行機に搭乗して今度はギリシャのアテネ国際空港に向かいます。
再搭乗にはかなり待ち時間があるので、集合時刻を決めてとりあえず解散する事になりました。

空港内は早朝とあって開店しているお店はほとんどありませんでしたが、1時間ほど待ち時間があったので、他のメンバーと共 に通路を探検をするような気分で歩き回り、少ないけれども店を開けている店舗の中の商品を見学したりして、時間をつぶしました。

その中で早々と通貨ユーロを使ってみようとガムを買ったり、オリンピック記事なのですが、野口みずきの写真がたくさん掲載 されている現地のランニング雑誌なども買い込み機内で見る事にしました。

 

アテネ国際空港に到着

定刻の07時20分にシャルルドゴール国際空港を飛び立ち、所要時間3時間20分をかけて到着地であるアテネ国際空港 に無事到着しましたよ(^o^)。

巨大なパリのシャルルドゴール国際空港を経てきたせいで、アテネ国際空港はかなりこぢんまりとした印象を受けましたね。

印象としては、日本の沖縄那覇空港ぐらいの規模でしょうか。
日差しも沖縄に似て白っぽい光である事を感じさせました。
やはり空気は乾いているせいか、少し暑いかなと感じさせる雰囲気でありながらも、吹き付ける風は柔らかくさわやかな印象です。

空港内には、いたるところにアテネパラリンピックのロゴや表示板が掲示してあり、パラリンピックの開催地アテネに来たんだなという印象が強くなり ました。

アテネ空港と私は呼びましたが、正式にはアテネ エレフテリオス ベニゼロス国際空港と呼ぶのですね(^^;)。
(ATHENS ELEFTERIOS VENIZELOSINT`L AIRPORT:ATH)

長い航空機の旅も無事に終わりを迎えたようです。
しかししかし最後の段階で、思いもよらないアクシデントが発生してしまいました(^^;)。

ツアーメンバーの内6人の預け荷物が同じ便でアテネに届いていないという連絡が入ったのです。
ツアーメンバーの中に旅慣れた人が居ましたが、その人の話によるとこのようなトラブルは結構あるのだとか……。
夏の夜に聞くような怖い話ですね……(^^;)。

荷物がない事を旅行者が発見し、その段階から荷物を探し出すというのは、結構やっかいな事のようです。

今回のケースでは、パリの空港から積み残した荷物があると先手を打って連絡が入っていたので、その点はラッキーだったとい う話をしてくれました。
少なくとも不明の荷物は、パリ国際空港までは到達しているというのが明らかですからね。

添乗員のSさんからいろんなエピソードを聞けば、数日間荷物が行方不明になるケースもあるそうですから怖い話ですよね。
発見されて手元に来たときには、もう帰国する直前という事態も少なからずあるとか……。

不運にも届かなかった荷物はホテルに配送してもらうのが一番良いのではという話になって、ホテルに届けてもらうことになり ました。
ただ到着が何時頃になるかは全く不明だそうですから、不明荷物の持ち主は気の毒ですよね(^^;)。

空港ロビーでは現地日本語ガイドのIさんが待っていてくれました。
Iさんは60歳代ではないかとお見受けしましたが、日本語とギリシャ語を交えて現地関係者と話をしていました。

アテネ空港からはチャーターしたバスでホテルに向かいました。
宿泊先ホテルまで距離にして32キロ、概ね1時間ぐらいのバス旅行になるのでしょうか。

空港を出てバスはすぐに高速道路に入りましたので、私たちも車窓から初めて見るアテネの風景を観察しました。
周りの風景はもちろん砂漠という程ではありませんが、日本の風景と比較しますとかなり“乾いた大地”という印象ですね。

かなり広い面積に同じような樹木が植えられていましたので、気になったのでガイドのIさんに“あの木はなんという名前で すか?”と聞きましたら、やはり予想通り“オリーブの木ですよ”という返事が返って参りました。

ギリシャといえば一般的にオリーブ油を連想しますよね。
見渡す限りに植樹されていた一帯も、日本のリンゴ畑団地や梨畑団地などと同じように広大な地域でオリーブを栽培している という訳です。

バスは高速道路を降りてアテネ市街地に入ってきました。
右にオリンピックスタジアムなども見ながら、道は真っ直ぐな道が続く緩やかに下り勾配の道を進みました。
市街地へ入ってしばらく走り続けると、現地ガイドのIさんが宿泊先であるパークホテルが見えてきたと教えてくれました。

そしてバスは無事にホテルに横付けされ、私たちの旅の往路も無事終了する事ができましたね(^o^)。

私達のアテネ滞在のベース基地となるのは『PARK HOTEL (パークホテル)』です(^o^)。

客室数148ベッドのアテネでは中堅クラスでしょうかね。館内や客室は格調高く落ち着いた雰囲気で、幹事の私もまずまず満足 すべきレベルのホテルであったと胸をなで下ろしましたよ(^o^)。

荷物が届かなかった人は悲しいことに着替えも出来ない状況ですが、一方で無事に荷物を手にした人は、着替えや荷物整理をし た後、集合予定時刻にロビーに三々五々集まってきました。
これから、手分けしてフルマラソン応援の為の情報収集に出発しようという訳です!!。

 

フルマラソン応援のための情報収集に出発!

私とN見さん、そしてJTBのSさんの三人はアテネ市街の中心部にあるJTBアテネ支社に出向き、26日のフルマラソン応援 の為にチャーターしたバスによる応援態勢を、どのように構築するかを、アテネ駐在のJTB社員も交えて検討する事になりました。

他の応援ツアーメンバーは、とりあえずアテネ市内のパナシナイコ競技場周辺の様子や、マラソンルートと地下鉄との連携などの 情報収集、そして可能であればおみやげも早々と購入したりといった行動をする事になりました。

地下鉄2号線シンタグマ(SYNTAGMA)駅まで皆で一緒に行き、そこでそれぞれ別れて行動しようと言う話になり、全員でパーク ホテルを出発しました。

アテネの写真

地下鉄をガイドしている冊子。思いのほか解りやすかったですよ~。(^o^)
アテネ市内には地下鉄が3ルートしかないので、解りやすいのは当然かもね。

ホテルから歩いて5分ほどのところに地下鉄1号線ビクトリア(VICTORIA)駅はありました。
ホテルからビクトリア駅まではたいした距離ではありませんでした。

しかし、驚くことに数百メートルの距離を、何度か横断歩道を横切ったりして駅に向かったわけですが、何か命がけといった感 じで渡りましたよ(^^;)。
こちらの自動車の動きは凄いものがありますね!
どうやらアテネの運転手達に“歩行者優先”という概念は存在しないようです。

これは自家用車に限らず公共バスも同じようなもの……。
歩道上を横断する人の列が少しでも途切れようものなら、彼らは迷うことなく突っ込んできます。
まるで車にブレーキが 付いていないかのように(^^;)。

とにかく凄いスピードで突っ込んできますし“通り抜けた者の勝ち”といったイメージで、一台が突破すると次から次へと途切れることなく(^^;)。

アテネ到着後早々に体験したこのスリリングな思いは、アテネの車社会は歩行者の存在を“軽視”するのでなく“眼中にない”と いうレベルである事を、存分に思い知る先駆けとなったのでした(^^;)。

アテネ市内に三ルートある地下鉄については、フルマラソン応援でも利用しますのて、私達も十分事前の勉強をしてきましたの で、容易に理解できましたし対応する用意が出来ていました。

地下鉄料金はと言えば単純明快の一言!。何処まで乗っても均一料金方式ですから私達のような旅行者はキップを買うのが楽で すね。
ただしキップは二種類ありまして、1号線のみ有効の0.6ユーロキップと、1・2・3号線ともに使える0.7ユーロキップ があるので注意を要しますね。

乗り降りに際しての改札は、日本に比べてかなりルーズな面があります。

日本の鉄道や地下鉄のように1人1人キップをチェックして改札を通過するという事でなく、日本では自動改札機などが設置し てある場所に、こちらでは「刻印機」とよばれる機械がならんでいてそこにキップを差し込み、言葉通りいわゆる刻印をキップにします。
“乗車しましたよ、キップにチェックをいれましたよ”といった意味合いでしょうね。

一方降りるときは改札というものは存在しないので、降りるときは更に楽チンですね(^o^)。

地下鉄では駅員もあまり見かけませんでしたし、日本の駅ではうるさいほどに“ああしろこうしろ”と注文がつきますが、 こちらではそのような放送もなく電車の音だけが響くだけでした。

このような地下鉄風景ですから、アテネの地下鉄は非常に無賃乗車しやすいと思いましたね(^^;)。

実際に電車を待っている間の暇つぶしに、刻印機あたりを見続けていると、結構刻印せずに通り抜けてしまう人が居ましたから 、当然の事ながらそれらの人は無賃乗車の可能性が高いですよね。

実は後日談ですが、私達も慌てて地下鉄に駆け込んだときなどは無賃乗車を二回ほどやりました(^^;)。
目の前に電車が到着してしまい、慌てていてキップを買う時間がなかったときやってしまいました。
ご免なさい~~m(_ _)m。

アテネ市内の移動手段として、地下鉄と共にバスやトロリーバスも数多く走っていますが、こちらは一般旅行者にとってやや 敷居だ高いという印象でした。
ですから、おそらく応援ツアーに参加した誰もが使わなかったのではないかと思われます。

JTBアテネ支店は、地下鉄シンタグマ駅からアテネ市内で最も賑わっている場所といわれるシンタグマ広場(Symtagma Square)に出て、アマリアス通りを南に500m ほど歩いた所にありました。

2階の事務所に入って会議室の椅子に座り、現地駐在で私達の応援ツアーを担当している方と名刺を交換し、打ち合わせを開始 しました。

チャーターした大型バスが私達をホテルまで迎えに来る段階からスタートし、フルマラソンコース上のどのポイントに送迎するか という検討を慎重におこないました。

私達も日本での事前調査といいますか、情報収集を精力的におこないましたが、アテネフルマラソンコースに並行して走るよう な道路が少ない上、道幅は総じて狭く複数の箇所に応援ポイントを設け、バスで移動しながら応援を続けるという理想的な応援 体制を組むのは、かなり厳しいのではないかという予測を立てていました。

しかしながら、現地駐在の担当者の話では、私達の予測よりも更に厳しい状況である事を語り続けました。

私が応援で駆けつけた、パラリンピックシドニー大会の時は、ゴールこそ間に合いませんでしたが、走ったり電車を乗り継ぎ、途中4ヶ所で選手の応援を する事が出来て、理想的な応援が出来たと満足したものです。
保科選手なども各ポイントでの応援が、走る上で本当に励みになったし嬉しかったと、帰国後私たちに語ってくれたのを思い出します。

私が考えるここアテネでの最低限確保しなければならない応援パターンは、高橋選手のご両親とご家族に走路上で一回応援してい ただき、その上でゴールのパナシナイコ競技場で待機し、トップで入ってくるかもしれない高橋選手を待ち受け的に応援すると いうものです。

“走っている高橋選手の姿”と“メダルを獲得するかもしれないゴールシーン”の二回は、どうしてもご両親とご家族に体験し て頂きたいと私は考えていました。

しかし、その線で話を進めても現地担当者は“御両親がゴールに間に合わない可能性が高い……”と繰り返すばかりでした。

現地担当者はアテネオリンピックの時にも、複数のフルマラソン応援団を受け入れて対応したようです。
その経験からかなり厳しい状況であるという結論を導いていました。

野口みずき選手のコーチがスタートから20キロ地点に向かうに際して、渋滞などに巻き込まれて野口みずき選手の通過前に、 その所定の場所に到着出来なかったという事を明かしてくれました。

更には、25キロから30キロ地点の間で応援していた野口みずき選手のお母さんは、路上で応援後ゴールに向かいましたが、 間に合わずゴールシーンを見る事が出来なかったそうです。
野口みずき選手のお母さんも、さぞかしショックだった事でしょうね(^^;)。

このような事例から、オリンピックほど渋滞はひどくないだろうが、それでもアテネ市内は違法駐車がひどく何時でも混み合っ ており、裏道を選べば安全という楽観も出来ないというのが結論のようです。

私達は、マラソンコース上の“何処でどのような応援をするか”ではなく“何処なら応援出来るか”を検討しなければならない ようです。

私の当初からの念願だった、ご両親とご家族の皆さんに、都合二回応援して頂くようにする事は断念しなければならないと いうのが結論になりました(^^;)。
結局安全策としてご両親とご家族には最初からゴールのパナシナイコ競技場で待って頂くという事になりました。

高橋選手のご両親とご家族の応援態勢が確定しましたら、次は高橋選手の前半伴走をする神原選手のお母さんが応援に来ていま すので、神原選手が担当するスタートから20キロ地点までの何処かで、神原選手のお母さんが応援できるようにする態勢の 検討に入りました。

私と同席しているN見さんは、1人だけ一足早くアテネに到着していました。
私たちよりも4日も早い19日には成田を出発したのです。

そしてその間に、フルマラソンコースの応援をする為の情報収集を活発に行ってくれていました。
凄いですよ(^o^)。すでに2回も全コースを試走してみたそうです。
例によってギリシャの運転手の乱暴な事はすでに書いたのでお解りのように、とても危険で車道は走れなかったそうです。
かといって歩道も、工事が完成していない所が多く、土石が混じった赤土が露出しており、捻挫しないように走るという大変な コース試走だったようです。

そんな努力もあって、すでにフルマラソンコースについて、実際に自分の目で確認しておりかなり詳しい情報を持っていました。

N見さんの意見を聞きながら意見を集約して、神原選手のお母さんはバスでコース上8キロ地点まで行き、この近くのコース 上で応援する事が決まりました。

ゴールシーンの応援は最初から諦めて、スタート地点と出来ればもう一カ所で応援したいというメンバーも居ましたので、その 方々とバスに乗り合わせ、最終的にバスはスタート地点に向かう事になりました。

その他健脚のランナーは、地下鉄に乗り所定の駅で降りて出来る限り広い範囲に“散って”コース上まんべんなく応援しようと いう話しになりました。
幸い地下鉄3号線がフルマラソンコースにほぼ並行するようにゴールから28キロ地点まで延びています。そのルートを上手く 使って応援しようと言う結論に達しました。

フルマラソンを走るランナーにとって、苦しい時の沿道での応援は、かなり強い味方になってくれる事でしょう。
苦しい中にも新たな走るエネルギーがわき上がるかもしれません。

結局、事前に想定した応援態勢は構築出来ませんでしたが、予想されるのはまずまずの応援が出来そうだという事です。
打ち合わせを終えて事務所を出ると“よーし、バッチリ応援してやるぞ!”という思いが更に熱く沸き上がってきましたよ(^o^)。

私達三人はJTBアテネ支店を後にし、集合場所であるシンタグマ広場に向かいました。
予定している集合時刻にはまだ時間がありましたが、広場横のコーヒーショップで高橋選手の奥様と神原選手のお母さんとが、 店先のテーブルで何か飲んでいました。
私たちは声をかけ合い合流して、JTBアテネ支店での応援態勢の結論などを話して集合時刻まで過ごしました。

アテネの写真

【シンタグマ広場(Syntagma Square)】
アテネの澄み切った青空と白い光線が眩しいぐらいですね(^o^)
背景にある大きな建物はギリシャの国会議事堂です。左から応援ツアーで最も長く滞在し、コース試走などで大活躍しているNさん、高橋選手の奥様、神原選手のお母様、そして一番右がサイト管理人の私です。

アテネの写真

【フルマラソンコース30km地点】
会社応援団の皆さんです。彼らも精力的に情報収集していましたよ~。(^o^)
メトロ3号線と鉄道を乗り継ぎ『パリーニ駅』前に到着しました。ここはフルマラソン30キロ地点です。坂やカーブなどの走路状況を見極めながら、応援する場所の選定を進めていきます
【写真提供YAMAさん】

今夜20時20分からオリンピックスタジアムで、高橋選手が二つめの陸上競技である5000mを走る予定になっています。
私たちは、サブグランドで高橋選手や伴走の中田選手や神原選手らと合流するように連絡を取り合い、落ち合う時刻と場所が確認 出来ましたので、私達四人だけで一足早くスタジアムに向かう事にしました。

 

OAKAアテネオリンピックスポーツコンプレックス

アテネの写真

 

アテネオリンピックスポーツコンプレックスは、地下鉄1号線ビクトリア(VICTORIA)駅から10駅目のイリニ(IRINI)駅に ありました。
間もなく到着という段階になりますと、車窓から巨大な施設群が見えてきましたよ~(^o^)。

時刻は夕方の6時を廻っていますが、日本の夕暮れの感覚よりもかなり空は明るいでしたね。

改札を抜け駅施設を出たとたんに、そこはオリンピック施設の中でした。
ここの巨大施設群は、オリンピックの開閉会式や陸上競技が行われるオリンピックスタジアムを中心に、その他のバスケ・体操・トランポリン・ テニス・競泳・シンクロナイズドスイミングや自転車競技などたくさんの競技をが行われるために、巨大な建物が建ち並んで います。

それら各施設をつなぐアプローチも、目を見張るようなデザインを凝らした施設が続きます。
ギリシャらしからぬ洒落たデザインに驚きましたよ(^^;)。

私達は直接オリンピックスタジアムには行かず、横にあるとされるサブグランドを目指しました。
サブグランドはスタジアムのすぐ横にあり、すぐ発見できました。

そして一足早くホテルを出発した私とN見さん、高橋選手の奥様、神原選手のお母様の四人は、無事にサブグランドで高橋選手と 伴走の中田選手・神原選手らに、久しぶりの再会を果たすことが出来ました~(^o^)。

なんといっても神原選手のお母様は、伴走の大役を引き受けた我が子に久しぶりに会えて、心から本当に嬉しそうでしたね。
二人でしばし親子の会話をしていましたが、どんな話したんでしょうかね~(笑)。

高橋選手も久しぶりに奥様に会えて、こちらも同じように本当に嬉しそうに会話を続けていました。
私達も、その和やかな雰囲気を壊さないように気を遣いながら、時々その会話の中に入って激励の言葉をかけたり、すでにアテネに来 ているご両親やご兄弟の近況などを伝えました。

私達は賑やかに会話を続けていましたが、私は何気なく周囲を見渡したときに、陸上競技車椅子選手の廣道 純選手が 近くにいる事に気付きました!
私はためらうことなく近づいて、声をかけさせて頂きました。

アテネで直接彼と話は出来ないだろうなと予測していましたが、予想は外れ話が出来て本当に嬉しかったですね(^o^)。

彼とは、日本選手団壮行会の時にも、親しく会話をしているので話は弾みましたよ。
今夜の800m 準決勝を走る為に、こんなにも早くサブトラックに来ていたという訳ですね。

廣道選手は6種目にエントリーしていて、すでにFinal戦もあったようです。
ここまではまずまずの体調だったし、無難に走れたと語ってくれました。
これから更に調子を上げて、本命としているレースに臨みたいと語ってくれました。

彼には素敵な女性が寄り添っていましたので、会話の中で私が“奥様”という言葉を使いましたら、“まだ彼女ですよ、アテネ から帰ったら結婚しますけどね”というコメントが帰ってきましたよ~(^o^)。

それから廣道選手の腕に触らせてもらいましたが、もう凄いの一言ですね。
筋肉の塊であり首から肩そして腕に連なる筋肉群は、まさしく日頃の厳しいトレーニングの激しさを物語っています。

最後にお二人のツーショットの写真を撮らせて頂き“今後の活躍を期待していますよ”と述べさせて頂きました。

 

(選手紹介) 廣道 純選手(30歳)

車椅子競技(T53/54)の廣道選手を紹介いたします(^o^)。

10社以上の企業とスポンサー契約を結び、国際的な競技にも数多く参加しているプロの車椅子選手ですね。
陸上車椅子競技のトップアスリートとして、パラリンピック・シドニー大会をはじめ、国際大会で輝かしい結果を残していますよ~(^o^)。

ここパラリンピックアテネ大会でも、200m,400m,800m,1500m,10000m、そしてフルマラソンの六種目にエントリーしています。
日本を代表するトップアスリートとして、アテネでの大活躍が期待されますね。

現在大会参加を積極的に行っており、ウエブの更新も活発ですからご覧下さいね(^o^)。

廣道選手の著書を紹介します。
『どうせ、生きるなら』 廣道純(ヒロミチ・ジュン)・著
四六判 208ページ / 2004年06月30日 発売 / 定価 1470円 (税込)

15歳のときに、バイク事故で脊髄損傷。その後、波瀾万丈の人生を送りながら、日本屈指の車いすアスリートとして世界で 活躍する濃いぃ男が熱く書き下ろした一冊。
大阪出身のやんちゃ坊主が、アテネ・パラリンピックで金メダルを目指す!
「お涙ちょうだいの物語と違いまっせ。でも、このリアルな話はちょっと驚かれるかもしれないな、健常者にも、障害者にも…」

私たちも高橋選手や伴走の中田選手や神原選手と長く話をすることが出来ました。
久しぶりの再開に、皆さんの笑顔が本当に素敵でしたね(^o^)。
高橋選手の奥様は、彼が一回り大きく見えたのではないでしょうか~(^o^)。

もちろん高橋選手や伴走者にとっても、精神的にリラックスする事が出来たと思いますね。
私たちとの再会が、結果として彼らに栄養剤を注入したという話になれば、それはすごく嬉しい話でもあります。

ただ、高橋選手は残念なことに、アキレス腱が少しだけ調子が悪いようですよ(^^;)。
今日無理を押して走りきると、二日後のフルマラソンに影響が出る事を真剣に懸念しているようです。

確かに5000mはかなりスピードが出ますので、当然アキレス腱にもかなりの負荷がかかりますからね。

伴走者と十分に検討を重ねた上で、一定のペースで走り始めてもしも違和感が強く出たら、ペースダウンしてリタイアするとい う結論に達したようです。
私達もその考えを追認し、本命はフルマラソンなのだから違和感が発生したら、躊躇うことなくふみ留まってペースダウンする ように強く勧めました。

 

高橋選手の走る5000mのスタートは、20時20分です。
そろそろ高橋選手もウォーミングアップをしなければならない時間が迫ってきたようです。

私たちもスタジアムに入場し、軽食などを食べたりして競技開始を待つことにしました。

応援団本隊もスタジアムに到着したという連絡が携帯に入りましたので、私達も高橋選手や伴走者と記念の写真を写してから、 スタジアムに向かいました。

「OAKAアテネオリンピックスポーツコンプレックス」

アテネの写真

スポーツコンプレックスの広場を行き交う人々です。スポーツの祭典としての華やかな雰囲気が伝わってきますね。

アテネの写真

スタジアム横のサブグランドで待ち合わせ。感激の対面が出来ました。さすがに競技前ですので、高橋選手や伴走の中田選手も心なしか緊張気味でした。(^o^)

アテネの写真

フルマラソンの前半を伴走する神原選手と彼のお母さんです。お互いに久しぶりのご対面でしたから、お二方共に嬉しそうでしたよ。(^o^)

アテネの写真

サブグランドで陸上車椅子競技の廣道選手が調整をしていましたので、お声がけさせて頂きました。来春に結婚する予定のお二人はとても和やかな雰囲気でした。廣道選手の腕を触らせていただきましたが、鋼鉄のような力強さを感じました。(^o^)

アテネの写真

私達はパラリンピック応援のために、日本からはるばるギリシャのアテネにやって参りました。パラリンピック観戦という高鳴る感激を胸に、全員で記念撮影をしました。(^o^)

アテネの写真

聖火の灯るオリンピックスタジアム 優雅な曲線美とその巨大さに圧倒されました。

アテネの写真

有料で販売されていたパラリンピックの公式観戦ガイドです。A4サイズよりも大きな冊子でした。視覚障害者ランナーの絆としてのロープが印象的でしたね。(^o^)

アテネの写真

こちらはサイズが小さくて、無料のオリンピック・パラリンピック共通施設ガイドです。中央の写真は、ペロポネソス半島のオリンピア遺跡の競技場です。紀元前776年、第一回オリンピックが開催された場所でもありますね。(^o^)

スタジアムは巨大であり曲線を多用したデザインで、素晴らしい競技場でした(^o^)。
聖火もアテネの夜空に明々と灯っていました。
こんな素晴らしい競技場で、選手の熱戦が見られるのかと思うと、はるばる大金を投じて(^^;)アテネまで来て本当に良かったと 思いました。

パラリンピック開閉会式は座席指定となっていますが、競技観戦時はすべて自由席となっていましたので、私は御家族の皆さん と共に最前列周辺に陣取って応援する事にしました。

スタジアム内では、各種競技がスケジュールの則り進められており、選手などの動きや走りに合わせるかのように、時折拍手や 大きな声援が発生し続けています。

オリンピックが開催されている頃の暑さと比べたら、かなり昼間の外気温は下がってきていると思われますが、日中はまだまだ暑い日が 続くアテネですから、競技は午前中の部と夕方5時から始まる夜の部の二つのパターンに分かれていますね。

本日の陸上競技も5時から開始されるようです。そして17競技が予定されているようです。

各競技が進行している中で、後に続く予定競技の選手や競技役員などが、整然と隊列を組んで入場ゲートから入ってきます。
ちょっと見ただけでは、どの競技の選手なのかは解りませんが、観客は例外なく自分たちの前を通ったときに盛大な拍手と歓声を送って いました。

パラリンピックではお馴染みの風景かもしれませんが、初めて見る私にはちょっと心温まる情景でしたね(^o^)。

 

Men's 5000m T54-Final

トラックやフィールで複数の競技が実施されていることもあり、あちこちから歓声が時折沸いてきます。
サッカーやラグビーの試合でのスタジアムの歓声と比較して、このようにあちこちで突発的に歓声や拍手が沸き上がるのは、 陸上競技特有の印象がありますが、歓声と共にこちらの心もつられてテンションが上がってきますよね(^o^)。

競技は順調にスケジュールを消化しているとみえて、Men's 5,000m T54-Final のトラック競技が予定通り19時 55分に始まるようです。
T54といえば車椅子のトラック競技ですよね。Tはトラックの意、ですからフィールド競技はFが頭につきます。

T54は『切断・機能障害・脊損・頸損の障害を持つグループ』に属しています。ちなみに同じグループ内は、T51・T52・ T53・T54と四つのグループがありますね。
これらのグループ分けから枝分かれするように、更にクラス分けという段階があり、こちらは9種類のクラスがあります。

パラリンピックに限らず、国内大会でも車椅子競技というのは本当に迫力がありますよね(^o^)。
それは、車椅子が疾走する姿をトラックや沿道などで間近で見た人々は、誰でもそう感ずるに違いないと思えるほど迫力があります。

特に距離の短い種目ほど“ラストスパート”は、もの凄い追い込みがありますので、ゴール前の直線などは凄いですよ~(^o^)。

今から始まるMen's 5,000m T54-Finalには、日本選手として安岡チョーク選手が走ります。
名前からしてユニークですよね。覚えてもらいやすい名前でもあります(笑)。

実際、私も過去何度も障害者スポーツ大会の応援や観戦で競技場に足を運びましたが、彼の名前は一発で覚えましたね(笑)。

 

(選手紹介) 安岡 チョーク選手選手(31歳)

車椅子競技(T53/54)の安岡 チョーク選手紹介をします(^o^)。

彼は元々はタイ国籍で名前はプラソチョーク・クルンゲルンさんといいます。
タイ代表としてアトランタパラリンピックとシドニーパラリンピックに連続出場して、アトランタパラリンピック1万メートル では銅メダルを獲得していますよ(^o^)。

三度目のアテネパラリンピックではIPC 国際パラリンピック委員会の特例措置により日本代表として出場する事がきまりました(^o^)。

どういう事かと申しますと、大分県別府市出身の現在の奥様である安岡Nさんと、01年11月に結婚されたのでした(^o^)。

IPC(国際パラリンピック委員会)の国籍に関する規則では、原則として新しい国の代表になるには国籍を獲得してから3年以上 の経過を条件としていますが、居住地の変更など特別な理由がある場合には、国際パラリンピック委員会の委員会が認定すれば 変更は可能だという話です。
今回はその特例ケースにあたり、アテネ大会は日本代表選手として3大会連続のパラリンピック出場となりました。

現在は、大分県大分市内に居を構え、市内の医院で看護助手をやりながら、日々のトレーニングに励んでいるそうです。

アテネの車椅子競技では、400m・800m・1500m・5000m・フルマラソンの五種目にエントリーしています。
400m・800m共に日本新記録を本年に出していますので、有力なメダル候補でもありますね(^o^)。

スタートラインに並んだ12名の車椅子選手は、号砲と共に一斉に手を激しく回転させてスタートしました!

日本選手では、安岡チョーク選手(31歳/大分県大分市)がエントリーしています。
安岡選手は、二日前の22日に競技のあった5000m予選では、13選手の中で10分24秒95で走り3位を確保まして、 かなり気をよくしているものと思われます(^o^)。

トラックを約四分の三周を回って、私たちの前を通過する段階で、なんと安岡選手がトップをキープして走っているではないですか。
俄然応援にも力が入りますよね!!。

周回毎に見る顔の表情は、かなり気合いが入っている雰囲気で、パワーと強力な推進力がこちらにも伝わってくる思いがしました。

私達応援団は、力の限り“安岡頑張れー!”とかあらん限りの声を振り絞り応援を続けました。

残念ながら後半は後ろに下がっていきましたが、序盤はしっかりとトップをキープして走り続けましたね。

レースはゴールが近づくにつれてペースが上がっているようです。
ゴールが近づくにつれて激しいデットヒートが展開され、益々ペースは上がっている印象です。

すでにもの凄いスピードで走っているのに、ラスト一周の鐘が鳴ったら更にスピードは増していきました。
トップグループは最後のチャンスを狙って誰もが死にものぐるいで腕を激しく蹴っていました。
普段あまり車椅子競技を見る事のない私達は、その迫力に圧倒され続けましたよ~(^o^)。

最終的に安岡選手は、10分26秒63のタイムで10位にはいりました。
後半はかなり疲れた様子で、順位を落としてしまいました。

走り終えてのクーリングダウンで私達の前をゆっくりと通り過ぎていきましたが、顔の表情はかなり沈んでいましたね~(^^;)。
予想外の下位に甘んじて、かなりガックリ来ているといった雰囲気でした。

もともと彼は400mとか800mなどの短い距離を得意としていますので、後日のそれらの競技ではメダルを目指して頑張ってもらいたいですね。

Men's 5000m T54-Final

アテネの写真

オリンピックスタジアムにも照明が入りました。審判団も定位置につき、間もなく〔Men's〕5000m T54-Final競技が開始されます。

アテネの写真

序盤トップ集団を引っ張る日本の安岡選手、顔の表情からも気合いが入っています。

アテネの写真

ゴールが近づくにつれてスピードもグングンアップ! 激しいレースが展開されました。

  
Men`s 5000m T54-Final
Rk Npc Athlete Result
(AUS) FEARNLEY Kurt 10:23.98 PR
(MEX) GORDIAN Aaron 10:24.38 PB
(RSA) VAN DYK Ernst 10:24.47
(GER) BRUNNER Ralph 10:24.82
(FRA) JEANNOT Joel 10:25.35
(SUI) HUG Marcel 10:25.51 PB
(CAN) SMITH Kelly 10:25.52
(THA) WAHORUM Prawat 10:25.56
(POL) HAMERLAK Tomasz 10:26.43 PB
10 (JPN) YASUOKA Choke 10:26.63 PB
11 (SUI) FREI Heinz 10:26.64
12 (MEX) MENDOZA Saul 10:26.76
  
Men's 5000m T54 Records by Event
  name NPCoode Record Location Datet
WR MENDOZA Saul (MEX) 10:01.47 Atlanta(USA) 02 JUL 2004
PR JEANNOT Joel (FRA) 10:24.37 Athens(GRE) 22 SEP 2004

 

Men's 5,000m T11-Final

スタジアムでのトラック競技、フィールド競技共に益々熱を帯びてくる印象を受けますね~(^o^)。

入場ゲートからはMen's 5,000m T11-Final に出場する選手がトラック外周に向かって入って来ましたよ。

行列してトラックの8コースあたりを歩いてくる大勢のエントリー選手の中には、高橋勇市選手(39歳/東京都北区)や ガイドランナー(伴走)の中田崇志選手 (東京都練馬区)と神原淳一選手(埼玉県南埼玉郡宮代町)も居て、私達の大きな声援に気付いてくれて、三人とも笑顔でこちらにむかって大きく手を振っています。

しばらくすると各選手がトラックでウォーミングアップを開始したのでしょう。思い思いにあちこち走り始めました。
高橋選手と伴走の神原選手と中田選手は、わざわざ私達の前の来て手を振ってくれましたよ~(^o^)。
それに答えるかのように、御両親を始めとする私たち大応援団のメンバーは、スタジアムに響き渡るほどの大きな声で、“勇市 頑張れ~”と声援を送りました。

思えば視覚障害グループの日本選手の競技力も向上しましたね。
四年前のパラリンピックシドニー大会の時の、視覚障害グループの陸上トラック競技へのエントリーは誰もいませんでした。

もちろん、フィールド競技では、ベテランの尾崎選手が連続出場を続けているのは御存知の通りです。

しかしながら、このアテネ大会では、目の前で手を振っている高橋選手は、5000mと10000mの二種目にエントリーしましたからね(^o^)。
そしてもう一人福原選手も10000mで高橋選手と共に走り、二人とも入賞を果たしましたね。

陸上トラック競技においては、世界を見渡せば強力なライバルが多数存在しますが、日本選手の走力も着実に向上しており、 いつの日か世界と互角に戦える日が来ると期待したいですよね~(^o^)。

アテネの写真

高橋選手ら三選手が私達の応援席前まで来てくれて、元気な姿を見せてくれました。左から伴走の中田崇志選手、高橋勇市選手、伴走の神原淳一選手です。(^o^)

各選手が最後の調整として流しなどを行ったりして、いよいよ数分後に始まる競技を待っています。
そして、選手がスタートラインに並び始め、場所の確認などを行っています。

一瞬の静寂の中“ドーン”と号砲が鳴り響きました。
一斉に11名の選手が走り始めました。

そしてトラック四分の三周回ったところで、予想通りケニアのWANYOIKE Henryを含む集団がものすごいスピードで走り去っていきました。

WANYOIKE Henryは19日に行われた10000m決勝でで31分37秒25の走りで見事金メダル、同時にワールドレコードを打ち 立てました。
その時もぶっちぎりの優勝でしたから、この5000mでも優勝第一候補に違いありませんね。

高橋選手もその時は、4位入賞を果たしていますが、WANYOIKE Henry選手との差は歴然としていました。

高橋選手は四分の三周回ってきた段階で、すでに最後尾につけていました(^^;)。
足も上がってなくてストライドも伸びていません(^^;)。
やはりアキレス腱の調子が良くないようです。

“痛みがひどかったら途中でリタイアもあり得る”というコメントは、御両親を始めとする応援者全員に私たちが伝えてあります。
ですから応援団の誰もが“最悪の事態が起こってもやむなし”という気持ちで高橋選手を見つめています。

1km地点を通過したところでしょうか、高橋選手の調子は悪いようでリタイアした模様ですね……。
それ以降私達の前を再び通過することはありませんでした(^^;)。

高橋選手が最後まで完走出来なかったことは残念でしたが、フルマラソンではきっと復活して活躍してくれるとの思いを胸に、 引き続き他の選手の応援を続けました。

トップを行くケニアのWANYOIKE Henry選手の走りがとにかく素晴らしかったですね(^o^)。

驚くほど小柄な身体なのですが、とても視覚障害者とは思えない素晴らしいフォームとストライドでした。
そして靴は、写真を拡大してみるとピンのようなものが見えますので、当然の事ながらスパイクシューズと思われます。

WANYOIKE Henry選手の写真を見て頂くと判りますが、伴走者が持つロープは彼の手首に巻かれています。
ロープも長めですよね。よくあの長さで自分の走る方向がしっかりと認識出来るものだと感心しますが、自分の好きなだけ腕振 りが出来るというメリットは大きいと思いますね。

ロードと違いトラックはあくまで直線とコーナーの二種類のパターンしかありません。
ですから、後は選手を抜く時抜かれる時の対応を決めておけば、あのようなロープさばきでの走りが可能なのだと思われます。
現在のところ、日本国内で同じようにロープを持って走る選手は居ないと思われます。

いずれにしても、気の遠くなるほどの激しいトレーニングを重ねてきたのでしょうね。
凄いレベルのコーチ陣や、伴走メンバーが存在するのでしょう。
生半可なことでは、彼の伴走で1キロだって走れませんからね(^^;)。

伴走者も聞くところによると、アテネオリンピックの陸上競技の選手だそうです(^^;)。
確かにキロ2分50秒台で走る選手を伴走出来るランナーは、ごく限られた選手しかいませんよね。

前半WANYOIKE選手とEL AOUZARI選手の二人がぶっちぎりの走りでレースを盛り上げました。
キロ2分50秒台のペースでグングンと周回を重ねていきます。
スタジアムの大観衆も、凄い応援で盛り上がりました。
さすがにウエーブは無かったですが、彼らは耳で大観衆の声援を受け止めながら走ったことでしょう。

後半はEL AOUZARI選手が一歩脱落し、WANYOIKE Henry選手の一人旅となりましたが、スピードは衰えを知らず全く会長に飛ばして 行きます。
後半はトップを走る選手との差も大きくなり周回遅れの選手が出てきましたから、WANYOIKE Henry選手は外側のコースに出たり入ったりも多かったですが、上手くコース取りをして走り を進めていました。

そしてWANYOIKE Henry選手が15分11秒07という見事な世界新記録でゴールしました(^o^)。
自ら4年前シドニー大会で打ち立てた世界記録を約6秒更新しての快挙でした。

前半共に走ったモロッコのEL AOUZARI選手も共に15分台をキープし、15分33秒42秒で走りきりました。

私は、世界のレベルを目の当たりにし愕然としましたが、拳を突き上げ天に誓いました!。
“いつの日か必ずやメダルを取れる日本選手が現れると確信しているし、夢でなく現実のものにするべきだ”と……。

Men's 5000m T11-Final

2アテネの写真

序盤はWANYOIKE選手とEL AOUZARI選手が抜け出していきました。

2アテネの写真

序盤第二集団で走る各選手たちです。第二集団といえどもかなり速いです。

2アテネの写真

中盤はWANYOIKE選手とEL AOUZARI選手がぶっちぎりの走りを見せてくれました。あまりの速さに、流し撮りでもピンボケぎりぎりの撮影となりました~。(^^;)

2アテネの写真

WANYOIKE選手は最後まで力強い走りを持続 自身の持つ世界記録を更新しました。伴走しているのは、アテネオリンピックの陸上競技に参加した選手だそうです。

2アテネの写真

EL AOUZARI選手は終始2位をキープ WANYOIKE選手と共に15分台でゴール!。

2アテネの写真

WANYOIKE選手などケニア勢のウィニングランです。
観客席から大きな拍手と歓声が沸き上がっていましたよ~。(^o^)

  
Men`s 5000m T11-Final
Rk Npc Athlete Result
(KEN) WANYOIKE Henry 15:11.07 WR
(MAR) FERREIRA Carlos A. 15:33.42 PB
(KEN) KARANJA Frangs T. 16:05.38 PB
(ALG) BENCHIHEB Omar 16:16.69 PB
(POR) ALVES Nuno 16:19.68 PB
(GBR) MATTHEWS Bob 16:20.51
(POR) COELHO Paulo 16:38.45
(POR) VALE Ricardo 16:42.72 PB
(MEX) LEDESMA Nicolas 16:44.37 SB
  (CHN) ZHANG Zhen DNF
  (JPN) TAKAHASHI Yuichi DNF
  
1796 WANYOIKE Henry
Lap/Split Time
Distance Lap Time Split Time
1000m 2:53 2:53.52
2000m 3:03 5:56.73
3000m 3:05 9:02.55
4000m 3:06 12:09.04
5000m 3:02 15:11.07
  
Men's 5000m T11 Records by Event
  name NPCoode Record Location Datet
WR WANYOIKE Henry (KEN) 15:17.75 Lille(FRA) 25 JUL 2002
PR WANYOIKE Henry (KEN) 15:46.29 Sydney(AUS) 25 OCT 2000
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