Athens 2004 Paralympic Games
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9月28日 マラニック市内観光、閉会式
私たち居残り組5人も、最後のアテネ滞在日となりました。
今夜はアテネパラリンピック閉会式が開催されますので、皆で見学することになっていますが、昼間は昨日に続きフリータイム ですから、今日もマラニックでアテネ市内を見学して回ろうと話し合いました。
高橋選手の奥様Yさんは、昨日は高橋選手と面会して一緒に行動するために、私たちとは別行動となりました。
二人は、参加する競技も全て終了し、ほんとうに久しぶりに精神的にリラックスしながら、共に観光やら買い物にと、一緒にアテネ滞在を楽しんだようです。
私たちが、マラニックでアテネ市内観光地を見て回ったと彼女に話しましたら、メインスポットが多数含まれている事もあり、 同じようなコースを回ってみたいというので、私も昨日と同じようなルートを三人で走って観光をすることになりました。
前日に続きマラニックによる市内観光
昨日と同じように、まずは標高は277mの小高い丘が『リガビトスの丘』を目指して出発です!!。
勝手知ったる道ですから、スーイスーイと足取りも軽く進んでいきます。
丘が近づいて急な坂道を登ることになり、Yさんもかなり苦しそうでしたが無事に登りきり、展望の素晴らしさに感激していました(^o^)。
【リガビトスの丘】
何度来ても素晴らしい眺望に感激します。 眼下にパナシナイコ競技場が見えますね。(^o^)
昨日と同じように丘を下り、アテネ市街に入ってきました。
次は『キクラデス文明と古代ギリシャ博物館』を目指しましたが、休館日でした(^^;)。
私たちはすぐ近くにある『ベナキ博物館』を目指しましたが、やはり昨日と同じように有料ですから、玄関ホールのみ 見学して立ち去りました(^^;)。
【ベナキ博物館】
館内見学はしませんでしたが、記念にパチリ。(^o^)
昨日と同じように大統領官関連施の前に立つ衛兵の前をクスクスと笑みを浮かべながら通り過ぎ、走りを勧めました。
国立庭園を周回する道路を走っていると、古代遺跡があることに気付きました。
皆で走りを止めて見てみると、不思議な構造をしていました。
掲示板などもあり、施設の概要を説明していたことから、文字を読むことは出来ませんが、説明図などにより、今で言うスーパー銭湯ではないかと、皆で結論しました(^o^)。
正しいかどうかはともかく、それに近い雰囲気の施設であって事は間違いないようです。
古代のスーパー銭湯??。
お湯が流れるところ、溜めておくところいろんなブースがありました。
想像図を見る限り、やはり古代のスーパー銭湯なのかな。(笑)
パナシナイコ競技場を横に見ながら、Yさんも見てみたいと考えていたという『オリンピア・ゼウス神殿』に到着しました。
ここも何度見ても、その巨大さに圧倒されます。
現在は円柱が15本と梁の一部しか残っていませんが、全ての円柱104本が全て列柱として立っていたとしたら……。
これは想像しただけでも、驚くほどの巨大な石造りの建物という事になります。
どうやって組み立てたのだろう……。
本当に人間の知恵の偉大さには驚くばかりです。
【オリンピア・ゼウス神殿】
ゼウス神殿の基壇部分の前で記念撮影です。基礎も巨大ですよね。(^o^)
想像図に描かれている絵も時代的に古代に近いような雰囲気ですよね。
円柱上端部の装飾。イオニア式から派生したコリント式の豪華なスタイルです。
大理石をここまで加工しているわけですので驚きですね。(^o^)
悠久の時を刻む 古代アゴラ
昼も近づくと、私も古代アゴラやアクロポリスを詳細に見学してみたいと考え、NさんとYさんと別れて単独行動をする 事にしました。
オシャレなお土産屋さんや、タベルナを食することの出来るレストランなどが軒を連ねるプラカの露地を、ゆっくりと見て 進みました。
その先にあるのは『古代アゴラ』!!。
アテネ滞在中にぜひ一度歩いておきたいと考えていた場所です。
現在の『古代アゴラ』は石造りの残骸が並べられているような場所ですが、古代ギリシャの都市国家を最も特徴づけている 巨大な以降であると言えます。
この地域一帯は紀元前6世紀頃から商店が軒を連ね、あちこちに神殿なども建てられ、政治・経済・文化の中心地として 大いに賑わっていたといいます。
官公庁などの行政施設も軒を連ねており、市民の生活の場でもありながら、日常の用事はアゴラでほとんど足りてしまうほど 便利な都市国家となっていたようです。
人々は、広場に集まり政治や経済を論じ、また人々の議論に耳を傾け、政治や経済の情報を自ら発信した……。
ここアゴラは、古代ギリシャ文明を形作っていった重要な場所だったのですね。
緑豊かな広大な敷地に、古代遺跡が散りばめられています。
パルテノン神殿と同時期に建てられたとされる『ヘファイストスの神殿』のように、アテネで最も保存状態の良い神殿なども あります。
現在は『古代アゴラ博物館』として運用されている『アタロスの柱廊』のように、古代ギリシャの遺跡の中でただひとつ完全に復元されたような、ぜひ見てみたい 建物などもありますね。
見所満載の古代アゴラですので、時間をかけてゆっくりと回ることにしました。
【古代アゴラ】
古代アゴラからアクロポリスを見上げています。
この角度から見るアクロポリスは、有事の際の要塞である事が良く判りますね。
アクロポリス側からみた古代アゴラです。 遺構などが縦横に走っています。
アテネで最も保存状態が良いヘファイストスの神殿で、遠くからも目立っていました。長さ約32m、幅14mの巨大なドリス式の建物です。
円柱のブロックが少しずれいますが、戦争などで砲撃を受けたのが原因のようです。
今でも基壇部分は整然としており、かなり強固に保持されている印象を受けますね。
[世界遺産] 荘厳なアクロポリス
26日の市内観光で来ましたから、アクロポリスは二度目となります。
時間はタップリあるので、出来るだけ細かい部分を観察していくようにしました。
ギリシャ人は、ここアクロポリスに限らず、山上や小高い丘の上に町を作り、周囲を防壁などで囲うことが多かった。
外国軍などの侵略から都市国家を守る要請から、そのような形態になったものですが、ぐるりアクロポリスを周回して みると、ここも要塞であることが明確ですね。
周囲の市街地からは70メートル程高台にある、ここアクロポリスを攻略するのは、容易なことではなかったと推測されます。
前門をくぐり目の前に現れるパルテノン神殿の巨大で荘厳な雰囲気は、何度見ても驚嘆の一語です(^o^)。
事前情報として雑誌などで写真を見てきましたが、やはり現物を目の前で見ると、とにかくその威容に圧倒されます。
ギリシャは外国の支配を何度も受け、また戦争も幾度となく交えて、ここアクロポリスも建築と再興とが古代から繰り返され てきましたが、現在のように廃墟同然となったのは、1687年の事であったそうです。
当時ギリシャでは、トルコとヴェネチアが戦争をしていて、アテネ攻防戦のとき、トルコ軍が弾薬庫としていたパルテノン神殿にヴェネチア軍が放った 砲弾が当たり大爆発を起こしてしまったようです。
この大爆発により屋根が吹っ飛び内壁や多くの列柱が倒れ、多くの装飾品や彫刻品が粉々になってしまいました……。
これらの歴史を偲びながら、もしもその大爆発がなかったら……。
などと思いを馳せつつ、戦争による人類の遺産の消失に心が痛みますね(^^;)。
前回は気がつかなかったので、見ることの出来なかったアクロポリスの中にある『アクロポリス博物館』を見学することも出来ました。
アクロポリス博物館は、アクロポリス全体の景観を損ねないように、半地下形式で建てられた建物です。
ですから、前回来たときには見つけることが出来ませんでしたね(^^;)。
館内にはアクロポリスとその周辺で19世紀頃に発掘された出土品が展示されているようです。
今は外観だけが残っているようなパルテノン神殿も、当時は彫刻などで華麗な装飾品がたくさん飾り付けられていた事が 展示品からよく理解できますよ(^o^)。
後で知ることとなりましたが、館内の売店には日本語ガイドが販売されているそうです。
現地滞在中に知り、購入したかったのですが叶いませんでした。
アクロポリス
【アクロポリス】
ブーレエ門の上にある前門は、プロピレア(聖域への入り口の意)と呼ばれています。
巨大な円柱が整然と並んでいます。 奥はアテナ・ニケの神殿の一部です。
この方角からのパルテノン神殿が一番美しいですね(^o^)。ドリス式建築の最高傑作。 白い大理石作りのパルテノン神殿です。神殿に近づくほどに、その巨大な威容と荘厳さに圧倒されますね。(^o^)
パルテノン神殿を下から見上げたところです。 巨大な柱に圧倒されますね。
円柱に彫られた溝は20本。頭部に装飾を持たないドリス式の円柱です。
柱の高さは約10m。中央部付近に膨らみのあるエンタシス技法がもちいられています。
パルテノン神殿の梁の部分を観察してみました。 見事な屋根仕舞となっています。
円柱のブロックがずれていますが、砲弾が当たった衝撃でずれてしまったそうです。
壁部分は一部金物を使って固定しているようです。 真鍮でしょうかね!。
この円柱ブロック間の平滑さを見てください!!。
紙一枚も入らないほど平らに接合されています。古代の研磨技術には驚くばかりですね。
観光客が行き来する通路部分ですが、自然石がツルツルに光っていますよ。(^o^)
アクロポリスの修復工事を説明している掲示板 1
アクロポリスの修復工事を説明している掲示板 2
アクロポリスの修復工事を説明している掲示板 3
アクロポリスの修復工事を説明している掲示板 4
アクロポリスにある、わずかな土の部分に咲いていたタンポポの花。 健気ですね(^o^)。強烈な太陽光線と乾いた大地に、よく耐えて連綿と生命をつなげている事に驚きです。ここアクロポリスでは、このタンポポ以外の植物は見あたりませんでした。
アクロポリスの西端には、ブーレエの門があります。
1853年フランス人考古学者ブーレエにより発見されたことから、この名が付けられたようです。
古代ではアクロポリスへの入り口だったようですが、現在は出口専用として利用されているようですね。
アクロポリス観光もこれで終わりになるのだなという、一抹の寂しさを感じつつ、ブーレエの門を出ました。
ヘロド・アティクス音楽堂を左に見ながら、誘導路を下っていくと、この音楽堂の正面玄関側に出ました。アクロポリスから は音楽堂を上から見下ろす形となりましたが、ここからは見上げるという形になります。
【ヘロド・アティクス音楽堂】
ヘロド・アティクス音楽堂の最上部の石組み構造部です。
ヘロド・アティクス音楽堂の横に接続するように、エウメニスの柱廊がありました。
ここで日本の屋台のような食べ物屋さんがあったので、ハンバーガーのような軽食を注文して食べました(^o^)。
昼下がりであるという事もあり結構賑わっていて、お店の周囲には思い思いに腰掛けて食事を楽しむ大勢の人が居ました。
食事を終えお腹も少し満たされたことにより元気が出てきたので、この先にある『ディオニソスの劇場』目指して歩み を進めました。
ディオニソスの劇場
エウメニウ柱廊を過ぎてしばらくすると『ディオニソスの劇場』が左に見えてきました。
ここはギリシャ最古の劇場で、紀元前6世紀の酒と演劇の神ディオニソスの聖域がある丘の横に建てられました。
紀元前1世紀ローマ皇帝ネロの時代に大改築されたため当初の姿はとどめていないが、1万7000人収容の劇場であったといいます。
酒と演劇の神ディオニソスの祭礼は、毎年春国家的神事として華やかに催されました。
紀元前5世紀、アテネが最も輝いていた時期「ギリシャ悲劇」も完成し奉納されたようです。
ディオニソスの劇場など、多くの劇場で見られるように、半円形の形状にしたのは、貧富の差や生まれながらの貴賎にも 関わらす、市民が同等の立場で感激を楽しめるようにする為であったという話です。
“基本的に市民は平等”という考え方が、古代ギリシャの時代にすでに存在したのですね。
それにしては、現代社会は……。と考えてしまいますよね(^^;)。
劇場の上の丘から眺めてみたり、観客席に実際座ってみたり、通路部分をゆっくり歩いてみたり、古代ギリシャ人になりきって (^^;)、楽しい一時を過ごしました。
【ディオニソスの劇場】
『ディオニソスの劇場』の全景です。半円形である事が良く判ります。
『ディオニソスの劇場』からアクロポリスのパルテノン神殿を見上げています。
アクロポリスは“要塞”である事が良く判りますね。
観客席に座って周囲を見てみました。全てが大理石で出来ています。
観客席端部には、その列の固有記号が彫り込まれていました。英語のNに見えますね。
ホール床面にある古代ギリシャのマンホールの蓋? 下には確かに水がありました。
貴賓席? それとも神官や執務官などの席だったのかな。
古代ギリシャ文字? 読める文字があまりないですね。(^^;)
ディオニソスの劇場を後にして、丘を下ってしばらくすると、メトロ2号線パルテノン駅に出ました。
広場には出店などもあり、庶民的な雰囲気の駅前広場もありました。
しばらくは、プラカ地区の土産物屋さんや食べ物屋さんが軒を連ねる込み入った商店街を散策しながら歩みを進め、メトロ1号と 3号線が交わるモナスティラキ駅にたどり着きました。
日も大分傾いてきたので、ここからは宿泊先ホテルに向かって、走って帰ることにしました。
アテネの庶民生活を探るために、出来る限り裏通りを走りました。
走っていると中央市場に出ました。ここはまさしく庶民の市場で、肉や魚そして野菜や果物を売る店がたくさんありました。
ホテルに帰ってから食べようと、少しフルーツを買い求めました。
まもなくしてオモニア広場にでました。
オモニアとは“調和”を意味するのだそうです。広場はロータリーになっていて、8本もの通りが放射状に延びていました。
多くの人々が行き交い、お店なども活気がありましたね(^o^)。
国立考古学博物館
ホテルまであと300メートルぐらいのところに『国立考古学博物館』がありました。
ホテルは目の前ですし、夜のパラリンピック閉会式までには、まだ時間があるので、見学していくことにしました。
ネオ・クラシック様式の建物を入ってみれば、館内はとにかく広いですし、膨大な展示品の数々ですね(^o^)。
本当にじっくり見て回るなら、2~3日は必要とするのではないでしょうか。
とにかく驚くほどの膨大な数の展示品です。
限られた時間の中で、何処を見ようかと考えた末、彫刻の展示してある場所を主体に見ることにしました。
古代ギリシャ彫刻も時代と共に変遷を遂げたようです。
キクラデス時代には人間の姿をシンプルに表現したものが多かったようですが、アルカイック期(前600~前480年)、クラシック期(前480~前300年)、そしてヘレニズム期(前3~3世紀)など に分類され、その年代毎に目だった特徴があるようです。
彫刻の素材も大理石から青銅などに移行していったといいます。
館内の膨大な彫刻を見て回っていると、歴史の重み……。文化遺産の重み……。
国内外を問わず、人類の営みの重さを改めて感じた次第です。
今に生きる私たちは、後世に誇れる文化を残せるでしょうか……(^^;)。
【国立考古学博物館】
オリンピック・スタジアム閉会式
【オリンピック・スタジアム】
閉会式は指定席となっていました。
コンプレックスの広場では、間もなく消える聖火だけが赤々と燃えていました。
【写真提供Nさん】
パラリンピックシドニー大会での、豪華で華やかな閉会式の印象が強く残っていたために、ここアテネでの閉会式もどのような ストーリーを見せてくれるのか楽しみにしていました(^o^)。
しかし、パラリンピック閉会式は、当初予定していたものよりも行事やアトラクションを縮小して、開催されることになりました。
伝え聞くところによると、前日パラリンピック観戦に向かっていた地元高校生の乗ったバスが、交通事故に遭い7人が死亡 したというのです。
これにより、アテネ五輪・パラリンピック組織委員会(ATOC)は、追悼のため花火などの祭典部分を一切なくし、選手入場 や聖火を消す作業などの必要最小限の儀礼部分のみ実施する事になったようです。
ただこれは、閉会式を統括するはずのIPC国際パラリンピック委員会を無視する形で行われた決定のようです。
組織委側の発表を知ったフィル・クレーブンIPC会長は慌てて抗議したといいますが、決定は撤回されなかったようです。
選手はもちろん、世界中の人々が楽しみにしていた閉会式ですから、ガッカリした方々もまた多かったでしょうね(^^;)。
結果として“必要最小限の儀礼部分のみ実施”という決定に、選手が閉会式をボイコットするのではないかという、噂まで飛び交う事態と なり、最後の最後で後味の悪い結末となったようです。
第12回パラリンピック・アテネ大会は、12日間にわたる熱戦も無事に終了し、午後8時30分からOAKAアテネオリンピックスポーツコンプレックス にあるスタジアムで閉会式が始まります。
間もなく閉会式が始まるスタジアムは、照明が一段暗く設定され、聖火の炎だけがひときわ大きく燃えさかっていました。
閉会式が開始されるというアナウンスがありました……。
スタジアムの旗はすべて半旗となっています。
閉会式は8時30分からでしたが、まず黙とうから始まりました。
選手入場となり、トラックやフィールドは急に華やいできました(^o^)。
色とりどりのユニフォームを着た選手団が、思い思いに手を振ったりしながら入場してきました。
日本選手団も結構人数が多いせいか、ユニフォームが目立つせいか、すぐに特定できましたね。
近眼の私は、詳細によく見えないので、カメラを望遠側にして日本選手団を観察しました(^^;)。
居ました、居ました(^o^)。
高橋選手や伴走の中田選手、神原選手も見つけることが出来ました。
その他多くの日本選手が、楽しそうに会話したり、動き回って終わり行くパラリンピックを楽しんでいるようです。
国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレーブン会長の閉会の言葉は、各国選手およびサポーター、そして ボランティアスタッフら全ての人々への感謝の言葉を述べました。
また「この大会を亡くなった若い彼らとその家族にささげる」と述べ、選手には「アテネの精神を持ち帰り、世界中の若いア スリートを感動させてほしい」と呼びかけました。
2008年には北京オリンピック・パラリンピックが中国で開催されますが、式典の最後にパラリンピックの旗が、中国代表 に引き渡されました。
そして中国の演舞団による華やかな舞が少し挙行され華を添えました。
しばらくすると、カウントダウンが場内で始まりました。
テン・ナイン・エイト・セブン……。
このカウントダウンがゼロになったとき、11日間燃えさかったパラリンピック聖火が、静かに消えていきました……。
大会には、史上最多の136カ国・地域から3969選手が参加し、19競技162種目でメダル獲得を目指し争われました。
アテネ大会の特徴は、史上最多の国や地域からの参加者があったという点と共に、オリンピックとパラリンピックの組織委員会 が一つになったという点ではないでしょうか。
これにより、障害者のリハビリからスタートしたとされるパラリンピックも、“障害者スポーツ”という範疇を越えて、競技性向 をより加速させ、メダル獲得は益々熾烈に展開していくものと思われますね。
オリンピックと同じように、パワーと競技力が勝敗を分ける時代に入ったといえます。
パラリンピックアテネ大会を振り返ってみますと、大会は過去最多の136の国と地域から3969人の選手が 参集し、12日間にわたる熱戦を展開しました。
今大会の日本勢のメダル獲得は、 金17 , 銀15 , 銅20 の合計52個です。
金メダルの数も、メダル獲得総数も史上最多という事ですから、本当に喜ばしいことですね。
オリンピック同様に日本選手のメダルラッシュに沸きかえったアテネ大会でしたね(^o^)。
メダル獲得なった選手、入賞された選手の皆様、本当におめでとうございました(^o^)。
四年に一度のパラリンピックアテネ大会も無事に幕を閉じました。
終わってしまうと、残るのは一抹の寂しさ……。
祭りの後の……何とやらで、この寂しさは選手自身が一番感じているものなのかもしれませんね。
過酷なトレーニングに耐えた四年間。汗と涙にむせた四年間……。
しかしながらすごく短く感じた四年間……。
あっという間にやってくる四年後の北京パラリンピック!。
北京でのヒーロー、ヒロインは誰なのか……。
閉会式を終えた翌日から、新たな戦いは始まっている……。
オリンピック競技に限りなく近づくパラリンピック競技!。
次もまた勝者となるためには、越えなければならないハードル は高い!!。
アテネパラリンピック閉会式
場内は暗く設定され、燃えさかる聖火が浮かび上がっています。
各国国旗の整列が完了しました。
中央ステージの周りに各国選手が集まり、華やかに式典は進みます。
中国からの女性舞踊団が、美しい舞を見せてくれました。4年後に北京パラリンピックで再びお会いしましょう。(北京2008というロゴが見えます/ステージの背後からの撮影となりました 残念!)
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