ロンドンパラリンピックフルマラソン競技の様子

Athens 2004 Paralympic Games
マラソン観戦記

日本選手団結団式・壮行会

アテネ2004パラリンピック観戦記

 

9月27日 マラニック市内観光、競技観戦

昨日は朝早くから、フルマラソン応援のためにホテルを出発し、沿道での応援、パナシナイコ競技場でのゴールシーン応援、 そしてアクロポリス見学、オリンピックスタジアムでの表彰式を見学、最後はレストランでの祝勝会と……。
本当に慌ただしくも感動的な一日を過ごしました(^o^)。

今朝は、ほとんどの参加者が帰路につくため、パリに向け出発する事になります。
ただ、私も含め6人だけはまだアテネに居残り、パラリンピックの閉会式を見学する予定になっています。
この5人の中には、アテネの応援を終えたら、そのままギリシャのスパルタに向かい、ウルトラマラソンとして有名な 『スパルタスロン競技大会』に参加して250キロ余りを走る予定にしているNさんもいるんですよ(^o^)。

今日帰る人たちは、朝からバタバタと荷造りをしたり、私たちと別れの言葉を交わしたりと、慌ただしく動き回っています。
御両親や御家族の方々には、感動的な閉会式をぜひ見てから帰って頂きたいところですが、農作業が立て込んでいいて、あまり 家を空けておくわけにはいかないという事情があるようで、残念ながら今日帰路につく事になっています。

朝食を終えた後しばらくして、出発するグループメンバーは、到着したバスに乗り出発していきました。
居残り組の私たちは、精一杯手を振って彼らを見送りました。

私たちは笑顔で彼らを送り出しましたが、添乗員も一緒に帰ってしまったので、その点が心細いですしプレッシャーとなっています(^^;)。

 

居残った私たちは、用事があるとして単独行動をする事になっているYさんを除いて、マラニックで市内観光をしようという 話になりました。

地図を見ながら、ある程度主要な観光スポット見学を予定し、プラスアルファで走りながら臨機応変に見て回ろうという事に しました。

 

走って市内観光にいざ出発(^o^)!

リュックサックに適当に荷物を入れ、地図を片手に4人でパークホテルを出発しました。

まず最初に目標としたのは、ホテルから1.5キロ程の距離にある『リガビトスの丘』を目指しました。
アテネの中心部にあり、アテネ市街を一望できる素晴らしいビュースポットのようです。
標高は277メートルですから、走って登るに問題はありません。

地下にケーブルカーがあって二分程度で頂上に行く事も出来るようですが、ランナーである私たちには不要ですね(^^;)。

 

アテネの写真

小高い丘が『リガビトスの丘』です。 標高は277m、山頂目指していざ出発!!。

外国旅行をして、その国の人々がどのような庶民生活を営んでいるか……。
それを知るには“裏通りを歩くに限る”と信じている私は、出来るだけ幹線道路でなく、裏道を走ることを勧めました。

アテネ市街の裏道で特徴的なのは、とにかく駐車する車でふさがっています。
道路という道路、駐車の空きの方が圧倒的に少ないというのが現実ですね。

建物の中にも、一般の敷地にも駐車場というようなものは、ほとんど見かけません。
どうみても、道路を駐車場として利用しているというのが正しい見方です。

その証拠に、一ヶ月以上もそのまま放置してあるのではないかと思えるような、ホコリにまみれた車も多いですね。
アテネの水事情が洗車などを許さないのかもしれませんが、車の清潔度は日本とは大分違うようです。

アテネの写真

裏通りに車庫代わりに駐車している車の列。 みんなで駐車すれば怖くない。(^^;)

アテネ市街でもう一つ特徴的なのは、日本の駅にある『キオスク』を更に一回り小さくしたようなお店が、道路の歩道部分に固定した形で 設置されているという事です。

地元の人も身近なお店として、気軽に利用しているようです。
陳列している商品も、設置してある場所によりかなり違っている印象を受けました。
例えば、地元の人たちが利用するところは、新聞や雑誌そして日用品などが主に陳列されています。

一方観光客が多く訪問したり通行するような場所は、観光みやげ品もかなり陳列されているようですよ。

アテネの写真

地元の人たちが気軽に利用する、小さなお店がいたるところにあります。

『リガビトスの丘』がグングンと眼前に迫ってきました。
丘に近づくにつれて、斜面はかなり急勾配になってきましたよ(^^;)。
苦しいのと比例するようにグングンと標高は上がっていき、眺望も素晴らしく展開していきました。

頂上に上がってみれば、観光パンフレットに記載されていたとおり、素晴らしいパノラマが広がっていました。
天候も晴れで多少霞んでいますが、360度かなり遠い地域まで見渡すことが出来ました。
遠くはピレウスの海まで見渡せたのですから感激です。

ここから見るアクロポリスの夜景は最高だそうですが、まさしくその言葉に違いはないと感じました。

最も高いところには教会がありました。
しばし教会の中を見学し、ロウソクに火をつけて祈りを捧げたり、わずかばかり寄進したりもしました。

 

アテネの写真

『リガビトスの丘』から望むアクロポリスです。 ピレウスの海もよく見えますね。

アテネの写真

頂上で記念撮影をしました。素晴らしいパノラマでした。一番左のNさんは、数日後に行われるスパルタスロン大会に参加するんですよ。そして二人目の私、NさんそしてTさんです。走ることが大好きな人ばかりですね~。(^o^)

走って登った疲れもあり、もう少しゆっくりしていたかったのですが、限られた時間でより多くの観光スポットを回ろうとして いる為に、次の見学場所へと向かいました。

登ってきた方向とは逆の場所から、下山する事にしました。
丘の麓に来ると、ケーブルカー乗り場が見えました。
利用することはなくなりましたが、どのようなものか近寄って駅やケーブルカーを見学しました。
利用料金は片道2ユーロという事ですから、比較的安いですよね。

『リガビトスの丘』を500mも離れると、かなり市街地に入ってきたのを実感できます。

ここいらあたりは、かなり観光スポットが密集しているようですから、私たちも精力的に回るようにしました。

まず手始めに『アギオス・ゲオルギオス教会』を見学しました。
残念ながら中には入れませんでしたが、アテネでも主要な教会の雰囲気を堪能できました。

 

アテネの写真

【アギオス・ゲオルギオス教会】
白い建物が印象的なギリシャの教会でした。 心が洗われたかな。(^^;)

次に目指したのは『キクラデス文明と古代ギリシャ博物館』です。
ありがたいことに、入場料は無料でした(^o^)。
キクラデス文明とは、紀元前3000年ごろにエーゲ海を中心に誕生した文明です。
先史時代のエーゲ海で崇拝されていた地母神といわれる大理石の偶像などに文明の特徴が現れています。

ソファアネス大通りに面したネオ・クラシック様式の、エレガントな外観を持つ博物館の中に入ってみますと、キクラデス 文明の出土品や大理石の偶像。古代ギリシャ文明の装飾品や工芸品の数々の驚いてしまいました。

ややもするとパルテノン神殿に代表されるように、“大理石の器”に注目がいきがちですが、装飾品や彫刻品などこまやかな ものについても、素晴らしい品々がたくさん生産されていたのですね。

改めて古代ギリシャの芸術面も、かなりレベルの高いことを知りました(^o^)。

1階にはミュージアム・ショップやカフェもあり、観光客で賑わっていましたね。

続いて、『キクラデス文明と古代ギリシャ博物館』から200メートル程の距離にある『ベナギ博物館』にも足を運びました。
思わず目を奪われてしまいそうな、美しい宝石や貴金属、美術工芸品などなどが展示されているとのことで、ぜひとも見学した かったのですが、有料だったのでホールの中にある陳列品などを見学するに留まりました(^^;)。

この建物も20世紀初頭に建てられたネオ・クラシック様式の建物ですが、この荘厳な建物は綿花商を営んでいた個人の 邸宅だったというのですから、どの国にもどの時代にも大富豪というのは存在するものですね(^^;)。

この博物館は、1930年綿花商アンドニス・ベナキス氏が個人的に所有していたコレクションを寄贈して創設されたようです。

ここで、Tさんが見学してみたいところがあるとして単独行動する事になりました。
私たちは三人で、次の観光スポットを目指しました。

 

アテネの写真

【キクラデス文明と古代ギリシャ博物館】
古代の装飾品や彫刻品のレベルの高さに驚きました。Tさんとはこの博物館でお別れです。

アテネの写真

【ベナギ博物館】
有料だったので館内見学は諦めました。時間もあまり無かったしネ。(^^;)

博物館を出て、幹線道路の向かいには広大な国立庭園が広がっていました。
公園の中を散策しようと入口を捜していると、大統領官邸に関係する建物なのかな?
衛兵が門の両脇に立っていました。
二人の衛兵は微動だにせず、しっかり前を見て立っていたのです(^^;)。
少しからかってやろうかなと思いましたが、衛兵の真剣な表情をみて止めました。

エヴゾナスという民族衣装をまとっています。上着の裾はスカートのようなっており、白いタイツをはいていました。
そして赤いベレー帽、もちろんライフルを構えています。

ここからすぐにある国会議事堂の無名戦士の墓の前では、同じ民族衣装をまとった衛兵の交代を見学できるようです。
一つのショーとなっており交代時刻が近づくと、三々五々多くの観光客が集まるのだそうです。

国立庭園の入り口が見つかったので、庭園の中に入っていきました。
ここは、オットー1世国王とアマリア王妃の為のロイヤルガーデンとして作られたといいます。

その経緯もあり庭園には緑の樹木や植物が溢れ、地中海気候の乾いた印象の地域でも、植物群の種類は豊富に存在するのだなと感じました。
途中、小動物園やアヒルなどのたくさん住む大きな池などがあったりして私たちを癒してくれました。

ザピオンという国際会議場と展示場も兼ねたネオクラシック様式のとても美しい建物を横に見ながら前進すると、広い道路に出て目の前には、昨日フルマラソンゴールシーンを観戦した パナシナイコ競技場が目の前にありました(^o^)。

今日の『パナシナイコ競技場』は、昨日の喧噪が嘘のように人気もなく静かでひっそりとしていました。
昨日はゆっくりと競技場全体を眺めるというような事は、気分的に出来なくて施設はよく見てなかったのですが、あま改めて 見てみるとその巨大さには、やはり圧倒されますね。

収容人員5万人という巨大な競技場は馬蹄形をしているのが特徴です。それにトラックは現在の400メートルコースよりもかなり急カーブとなっており、 陸上競技はやりにくそうですね(^^;)。

ここは、1896年の第一回近代オリンピック大会の会場となった事で有名ですが、施設としてはかなり古く、紀元前331年 にはすでに競技場として存在し、パンアテナ大祭としての競技が開催されていたようです。

その頃にはまだ観客席は無かったようですが、ローマ時代に大理石の観客席を持つ立派な競技場として生まれ変わったようです。

 

アテネの写真

【パナシナイコ競技場】
金メダルへのゴールシーンを見ることとなったパナシナイコ競技場前で記念撮影です。

パナシナイコ競技場の斜め向かいには『オリンピア・ゼウス神殿』がありました。
柱と幾分の梁が残るのみの神殿ですが、巨大であるが故にかなり遠くからも見えていて、必ず訪ねてみたいと考えていました。

『オリンピア・ゼウス神殿』は、オリンポスの神ゼウスに捧げられた神殿だそうです。
紀元前515年にはアテネのペイシストラトスにより着工されましたが、予算が足りなかったのか(^^;)、たびたび工事は中断 され、神殿が竣工したのは着工から650年以上も経過したローマ皇帝ハドリアヌスの時代だと言われています。

神殿の規模は、パルテノン神殿を上回っていたといわれ、かつては104本の円柱が林立していましたが、現在は15本が垂直 に立っているのみです。

下の写真からも分かるように、円柱が1本分倒れています。
いつの頃倒れたかは分かりませんが、その柱が倒れる前は16本だったという訳ですね(^^;)。
目の前に見る円柱と柱は、とにかく巨大の一語に尽きます。
どうやって積み上げたのか……。
謎は深まるばかりです(笑)。

 

アテネの写真

【オリンピア・ゼウス神殿】
広大な敷地のオリンピア・ゼウス神殿の前にて記念撮影です!。

アテネの写真

現存する15本の巨大な円柱と梁の様子。 とにかく巨大です!。

アテネの写真

梁はどうやって渡したのか? クレーンは無かったはず(^^;) 謎は深まるばかりです。

アテネの写真

巨大な円柱の間から、朝一番で登ったリガビトスの丘の教会がよく見えました。(^o^)

アテネの写真

オリンピア・ゼウス神殿の周囲にも遺跡群が存在していました。

オリンピア・ゼウス神殿のすぐ隣には『ハドリアヌスの門』がありました。
かなり欠損していて、全体像はつかみかねますが、かなり細かい装飾が施され、荘厳な門あったことが偲ばれます。

コリント式円柱で構成されたこの門は、“皇帝の作った町”を示すためのものだそうです。

2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスの為に建てられたもので、門のアクロポリス側には「ここはアテネ、テセウスの都市」、 門の反対側には「ここはハドリアヌスの都、テセウスではない」と書かれているんだそうです。
昔も今も“縄張り”には気を遣うようですね(^o^)。

 

アテネの写真

【ハドリアヌスの門】
ハドリアヌスの門前にて記念撮影です(^o^)

Men's 5000m T46(T45)-Final

私たちは、日が暮れるまでマラニックによるアテネ市内観光を楽しみ、夜は再びスタジアムにてやり投げの尾崎選手などを 応援するため、地下鉄に乗りイリニ(IRINI)駅に隣接するコンプレックスを目指しました。。

尾崎峰穂選手が出場するやり投げ予選は定刻の20時15分から競技が始まりました。

やり投げ競技は13人がエントリーしており、、かなり長丁場の競技となるようですので、ここで21時05分に競技が開始さ れたT45とT46クラス(切断など)の[ Men's 5000m T46(T45)-Final ]をリポートしたいと思います。

 

アテネの写真

 

アテネの写真

フィールドでは、やり投げ競技がスタートしました。トラックではMen's 5000m T46(T45)-Finalの激しいレースが展開しています!!。

この競技に日本人選手は、二宮尚寛選手がエントリーしています。
二宮選手は、東京町田や大阪長居競技場での日本選手権大会やジャパラなどで、頻繁に見かけますね。
もちろん、クラスが違いますので、今まで言葉を交わしたことはありませんが、同クラスでは国内最強でブッチギリ走りを いつも見せてくれました。
ですから、彼の走りにはいつも注目していましたよ(^o^)。

 

彼は、ここアテネでは陸上トラック1500m、5000mの二種目に出場する事になっており、9月20日の朝から行われた1500m の決勝は13人の選手で争われ、4分4秒49でゴールし、見事5位に入賞しました(^o^)。

このタイムは、彼の持つ日本記録4分03秒78に比べても、満足できるタイムではないでしょうか。

オリンピックでもそうですが、陸上トラック競技で上位に入るのは、かなり厳しいものがありますよね。
その意味においても、この5位入賞というのは立派な成績であると思います。

T46(T45)クラスの5000mがスタートしました。
このクラスの世界記録は、EVANS Rob選手がパラリンピックシドニー大会での記録、14分39秒15ですから、序盤のレース展開も 想像以上に速いペースで進んでいるイメージでした。

二宮選手は、中盤ぐらいまで全体の中程をキープしながら、走りを進めていました。
激しいレース展開のせいか、結構順位が入れ替わっていましたね。

私たちは第三コーナーと第四コーナーの中間当たりに陣取っていましたが、トラックの目の前を通過するときには、皆で精一杯 声を出して応援しました。

おそらく日本語での大声援に、走りながら気がついたものと確信しています。

二宮選手は後半徐々に順位を下げましたが、ペースを大きく崩す事はありませんでした。
結果は15分57秒16で、13位となりました。

競合がひしめくなかでの、この記録は素晴らしいのことことですよね(^o^)。

二宮選手の片腕は、わずかに残るだけで腕ふりのバランス上は、ほとんど無いに等しいのではないでしょうか。
左腕と右肩でバランスをとりながら走っているとの事で、腹筋や背筋はもちろん体幹部の強化は積極的に行っているようです。

いずれにしても、彼はまだ23歳ですからね。走力向上がこれからも見込めますので、将来の活躍が楽しみです,ね(^o^)。

 

アテネの写真

序盤力走する二宮尚寛選手です。苦しみながらも見事15分台でゴールしました。
【写真提供Nさん】

Men's Javelin Throw F11-Final

尾崎峰穂選手といえば、御存知の方も多いはずですね(^o^)。
やり投げ競技の大ベテランで、ここアテネ大会までに5大会連続出場そして5大会全てでメダルを獲得しているという超人 ですからね。

彼ほどの国際大会出場経験を積んだ選手は、他に例がないほどの実績を積んでいるという訳です。

 

(選手紹介) 尾崎峰穂選手(40歳)

尾崎峰穂選手はやり投げと走り幅跳びの二種目に出場します。

彼のパラリンピック出場経歴は、1984年のニューヨーク大会からかり始まり、2004年アテネ大会まで、6大会 連続の出場となりましたね(^o^)。
バルセロナ大会までは走り幅跳びで、アトランタ大会からはやり投げでメダルを取り続け、1996年のアトランタま で、陸上競技で4大会連続金メダル獲得を続けていました。

尾崎選手は視覚障害フルマラソンに出場した福留選手と同じく、PAJ本パラリンピアンズ協会の理事に就任しており、障害を抱える選手達の練習環境や、公的なサポート などに関して、世界と戦える環境の整備に向けて彼の手腕に期待したいですね。

また、彼は陸上競技において、後に続く選手の育成にも力を注いでいますので、彼の周囲では新たな展開が期待できそうで すよ(^o^)。

 

19時30分から競技開始となるやり投げの応援をする為に、スタジアムに駆けつけました。
私たちも精一杯応援して、尾崎選手にメダルをゲットしてもらいたいですね(^o^)。

やり投げ競技が始まってからは、私たちが応援している事を知ってもらうために“尾崎~~、頑張れ~~”と、日本語で 声援を送り続けました。

尾崎選手は、予選の一投目をファウルにしてしまいました。
後に知ることとなりましたが、他の競技への歓声などで、投げる方向を知らせるコーチの手をたたく音が聞こえなかったのが 原因といいますから、視覚障害者にとってスタジアムでの競技も安泰ではありませんね。

二投目からは本来の戦いぶりをみせ、上手くまとめてファイナル枠に入り決勝にコマを進めました。

[ 予選1投目 ×  2投目 40.27m  3投目 39.58m ]

さあいよいよ決勝です!!。
尾崎選手は決勝でメダルをゲット出来るか! 6大会連続でメダル獲得なるか!?。

 

ところで、尾崎選手を応援しようと最初に声をかけたのは、他ならぬ高橋選手でした。

高橋選手は、アテネ選手村滞在中に、パラリンピック大会参加のベテランである、尾崎選手にたいそう面倒を見て頂いたと いうのです。
尾崎選手とは隣部屋であったという事もあり、何かにつけて心強いアドバイスや指示をして頂いたようです。

どの世界にも言えることですが、初心者にとってベテランが傍に付いていてくれるほど有り難いことはないですよね。

三つの陸上競技にエントリーしている高橋選手にとって、どれほど心強かったか想像に難くないです。

後日談ですが、尾崎選手にはたいへんお世話になったという話を、保科選手からも聞きました。
保科選手は、シドニー大会に参加して、アテネ大会は二度目の参加という事になりますが、その保科さんでも尾崎選手への 感謝の言葉を発しているのですからね……。

私も尾崎選手とは、オーストラリアシドニー大会でお会いして親しく話をする機会を持つ事が出来ました。
すでに5回のパラリンピック大会に参加している尾崎選手ですが、そのシドニー大会では、思いもよらない アクシデントがありましたね。

尾崎選手は、ヤリをなげるときに、投げる方向を安定させる為に左手をヤリに添えるスタイルでした。
しかし、競技本番直前になって「。「2本の手でやりを持つのはだめ。片手で投げなさい。ガイドも、選手が助走を始めたら、 正面からどくこと」と指摘されてしまい、動転し集中力を保持できませんでした。

アトランタ大会の時は、他国からクレームがついたが、審判長が問題ないと許可したスタイルでした。
結果として飛距離を伸ばせず、銅メダルに終わったという経緯がありましたね。

あの時の尾崎選手は、本当に無念の気持ちがいっぱいだったように思います。
あのシドニー大会での無念を胸に、このアテネ大会でもぜひメダルを獲得してもらいたいものです。

Men Javelin Throw-F11競技決勝がスタートしました。
視覚障害T11クラス決勝は、13選手で戦うことになり、尾崎選手は一番最後に投げるようです。

決勝ラウンドは、3回試技が許され、予選の記録も含めた6投の中で争われ、遠くに投げた順に勝者を決めます。

私たちは電光掲示板に表示される他の選手の投てき状況をにらみながら、尾崎選手が登場するたびに、精一杯の声援を 送りました。

尾崎選手も、私たちが応援して入れている場所を察知したのか、投てきが終わるたびに私たちの方向に向かって手を 振ってくれました。

尾崎選手の決勝ラウンドの成績は、次のとおりです。

[ 決勝1投目 37.86m   2投目 40.90m   3投目 38.68m ]

尾崎選手は、5投目の40.90mを投げて銅メダルを獲得しましたよ(^o^)。
これで、6大会連続のメダル獲得がなりました。
この“6大会連続のメダル獲得”という快挙は、日本人選手初という事ですから本当に素晴らしい成績だと思います。

それに今までのメダル獲得総数は、合計11個という事ですから驚きですね。

長きにわたって体調維持を維持することと、戦う気持ちを維持させることがどれ程難しいものであるか……。
アスリートとして並はずれた才能を持っているとしかいいようがないと思います。本当に凄いことですよね。
本当におめでとうございました(^o^)。

優勝したのは、シドニー大会まではT-12クラスであったオーストラリアのマリンコビック選手で、予選3投目に 投げた49.33メートルが世界新記録となり金メダルを獲得しました。

二位は、これまでの世界記録保持者で、シドニー大会金メダリストのドイツのヘゲホルツ選手が、予選1投目に投げた 45.87メートルで銀メダルを獲得しました。
ヘゲホルツ選手は、6投中3投でフライングするという、厳しい戦いの中での銀メダル獲得でした。

  
Men`s Javelin Throw F11-Final
Rk Npc Athlete Result
(AUT) MARINKOVIC B 49.33 WR
(GER) HEGEHOLZ S 45.87 NR
(JPN) OZAKI M 40.90 SB
(CHN) LI D 39.82 SB
(VEN) BELLO A 39.36
(LTU) GIRNIUS V 39.01 SB
(GER) HAUCKE R 33.60
(IRI) MORADI K 33.33 SB
(URU) FURTADO A 24.81
10 (KOR) HAN SH 22.64
  (HUN) HORVATH F NM
  (MEX) JIMENEZ D NM
  (GRE) KASKANIS L DNS

 

 

アテネの写真

保科選手が伴走の沖山選手と共に尾崎選手の応援に駆けつけていました。(^o^)

アテネの写真

尾崎選手の自己最高距離を出した5投目の投てきシーンです。

アテネの写真

納得のいく投てきが出来たのかな。声援に手を振ってこたえる尾崎選手です。コーラーは、王子スポーツセンターの指導員であるSさんです。

アテネの写真

尾崎選手の名前が3位のところに掲載されています。本当におめでとうございます。(^o^)

スタジアムにて選手らと打ち上げ

尾崎選手の競技が終了したら、一緒に飲もうという話になっていて、競技終了後程なくしてスタジアム横の、仮設レストランで 皆で飲んだり食べたりと楽しい一時を過ごしました。

高橋選手はもちろん全ての参加競技は終了しています。そして尾崎選手も銅メダルを獲得して全ての参加競技が終了しました(^o^)。
視覚障害T13の福留選手とも合流できました(^o^)。

高橋選手、尾崎選手そして多くの日本人選手の大活躍により、私たち日本からはるばる応援に来た人たちも、選手と同じように 嬉しくもあり感激の応援ツアーでした(^o^)。

皆が合流出来たときに、選手と応援団メンバーは、ようやく解放された気分もあり、皆でそれぞれに抱き合ったり、肩をたたき合ったり、選手の健闘を 称え、一方選手ははるばる応援ありがとうの気持ちをもって私たちに、感謝の言葉を語ってくれました。

私も高橋選手とは、しっかりと抱き合い(^^;)、彼の健闘を称える言葉を語りかけてやりました。

皆が祝勝パーティーのような気分で、会話も進み楽しい一時を過ごしましたよ(^o^)。
特に日頃話すこともない福留選手や尾崎選手と、アテネに向けての厳しいトレーニングの話や、ここアテネでの体調維持の 話などをたくさん聞くことが出来ました。

福留選手は、足に故障を抱えてのフルマラソンであったようです。
十分なトレーニングを重ねることが出来ず、レースでは苦しい苦しい戦いとなりました。
40キロ過ぎてからは、意識がほとんどなく記憶から完全に消えているそうです。
それほど過酷な戦いを展開したわけですが、無事にゴール出来て本当に良かったですね(^o^)。

尾崎選手の長きにわたる選手生活での、体調維持や競技力維持の難しさなどなど……。本当に貴重な話をお聞きすることが出 来ました。
また将来の展望を考え、『チームオザキ』を結成し、新たな展開を開始しているようです。

やり投げでは45歳で金メダルを獲得した選手が居るのだそうです。
彼は41歳、その上をいきたいと熱く話してくれました。
まだまだ競技生活は続くようですよ(^o^)。

パラリンピック北京大会でその夢が実現するか!
期待していますから頑張ってくださいね。

 

アテネの写真

イヤ~~~ 誰が誰だか解りますか~~!?。皆さん赤い顔して楽しそうですね。(^o^)
伴走の中田選手と神原選手も、今は残されたアテネを楽しんでいますね~。現地の若き女性たちが、私たちの勝利を祝福してくれました。本当~~???。
【写真提供Nさん】

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